RRB東京散歩(秋葉原〜日本橋):その25「三越前周辺」

「「さあ、長々続いた散歩もやっと最終回」
「長かったですねえ」

「まずは地図丸1三井美術館へ」
「こちらも人気スポットです」

「こちらで開催されているのが……」
「行ったのは7月25日ですよ。もう1月も経っているから変わってるでしょう」
「あ、じゃ、まいっか」
「いい加減だね」

「さあ、道を渡ればもう三越本店
「地図丸2。やっとゴールって感じですね」
「これはその前、道路標識
「何ですか」
市川団十郎(12)が書いた、江戸橋通りという文字なのじゃ」
「へえ」

「これがその標識前の三越入口
「あら、地下鉄って旧字ですね」
「本字という。いい雰囲気じゃろう」
「ええ、まあ」

「こちらが表口」
暖簾がいいですね」
ライオンは美術品として価値がある」
「はい、コンサートでお馴染みの天女像、壁の化石を見るなど、店の中のツアーも行われています」

「こちらは芭蕉の句碑
松尾芭蕉ですね。何か関係があるんですか」
「1672年、初めて江戸へ出た芭蕉がこの辺りに住んだという。日本橋道標の碑から260m、地図では丸3。佃煮屋日本橋鮒佐の店先にある」

  発句也松尾桃青宿の春

芭蕉は神田上水の工事などで資金を貯め、それで大規模な句会を催すことに成功する。この句はこうして俳諧の師匠として独立が認められた翌年(1679)、新春を迎えた時の作じゃ」

「こちらは弁慶ですか」
「裏の通りまで180m、地図丸4にある弁松という仕出し屋。」
「こちらも歴史があるんですか」
「お店の方によれば、1810年の創業だから、日本橋の中ではまだ駆け出しだと言う」
「すごい台詞ですね」
「大盛りで人気になったが、忙しい魚河岸の人が全部食べ切れないので、残りを竹の皮などに包んでお持ち帰りというのを編み出した」
「へえ」
「それが、最初からお持ち帰りという客も出て、二代目が最初からお持ち帰り専用のお弁当を発売、これがすごい人気で、三代目になると本来の食堂は廃止し、折詰専門になった」
「すごいですね」
「この辺りはシャッターを見て回るツアーもあるほど。絵は豊原国周の作品を基にして浮世絵の専門家が描いたのじゃが、ペンキの使い方に時間を掛けたという」
「慣れないですからねえ」
「それにシャッターの凹凸でもちゃんと見せることも難しく、
「自分で配合したが、塗って乾くと派手になって、何度も塗り直した。それに、シャッターの凹凸に合わせるのも大変……半年以上掛けて2008年の初春に完成した」
「寒い中の作業も大変だったでしょうね」
「同じ作者はこの後、日本橋文明堂のシャッターを描かれているから、こちらもぜひ」
「はい、今回は寄席があるので時間切れです」

「その代わりににんべんのお店を……三越のすぐ向かい側です」
「意味ねえ……」

「ここから200m、地図丸5にあるのが浮世小路、百川の碑
「これも落語ですか」
「落語の『百川』というのは、ここにあった料亭百川に務める百兵衛さんが、三光新道にいる小唄の師匠を呼びに行くが、名前の似ている医者を連れてきてしまうというドタバタ」
「実際にあった場所なんですね」
「CM落語じゃろうな。すたれていたのを円生が復活し、その型で今は色々な人が演じているので、聞く機会も多い」
「はい」
「さあ、こうして丸6の寄席、お江戸日本橋亭まで、150mくらい」
「やっと本当のゴールですね」
「無事終了しました万歩計で3万5千歩、約25kmの散歩でした」
「散歩じゃないですね……めでたしめでたし」
「最後に寄席の報告が……」
「ええっ……まだやるの」

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