RRB東京散歩(秋葉原〜日本橋):その23「日本橋界隈」

「さあ、こうして江戸橋を通って、日本橋まで……合計570m」
「ええ、前回からのつながりは省略します。地図では高速道路の曲がり具合を参照してください」
「地図で右下の矢印方向から来た訳でございます。そのすぐ上が江戸橋で……」
「やっとゴールですか」

「という訳で、地図の丸1。こちらは日本橋魚河岸跡
「築地の魚河岸は聞いたことがありますが」
「あれはずっと新しい。江戸時代はこちらで、舟で魚を運んで来た。関東大震災の後で今の築地に移ったのじゃ」
「へえ」

「こちらが全体の様子」
「像は何です」
乙姫様じゃ」
「魚を授けてくれるからですか」
「さあ」
「いい加減だね」

「これが日本橋……実は東京見物の観光バスが1台残らず来たのが、皇居とここ」
「へえ」
「ところが、真上に高速道路が通ると、風情も何もないということで、観光客も来なくなってしまった」
「そんな歴史があったんですか」
「高速道路を全部地下に埋める計画が出来たが、バブル崩壊で凍結」
「あら……」

「道路を西に渡る。地図の丸2。ちゃんと横断歩道を渡って60m」
「さあ、こちらは」
徳川家康は1600年に五街道を整備した。その起点となったのがここ日本橋。東京市でもここを基準に道路整備を行った。これがその基準となった道標の碑
「1600年というと……」
「そう、関ヶ原の戦いが行われた年。まだ豊臣の時代だと思うかも知れないが、すでにこうした政治の実権は徳川に移っていた。関ヶ原も、表向きは豊臣の命令で家康石田三成を討つというものだった」
「へえ」

「こちらは日本橋の碑。橋を渡った向こう、地図丸3にある。街道整備の折りに橋を架けて街道の起点としようとしたのじゃ。実際に掛けられたのは1603年」
「はい」

「こちらはもう一つ西、地図丸4呉服橋
「特に説明なし」

「こちらは旧日本銀行。この向かい合わせに貨幣博物館がある。地図丸5じゃ」
「こちらも何度か紹介しております」

「これは地図丸6にある常盤橋
「古そうですね」
「昔作られたのじゃ」
「……またいい加減になっているぞ」
「さあ、今度は三越周辺に進もう」
「まだゴールじゃないの」

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