RRB東京散歩(秋葉原〜日本橋):その16「新日本橋界隈」

「……ってことで、秋葉原を起点とする第2部」
「どういうこと」
「今日は紺屋町交差点、地図の○印からスタートです」
「人の話を聞いてないんだからね」

「最初の写真はすごいですね。神社がビルの壁にへばりついているように見えます」
「交差点から170m。地図の@にある福田稲荷神社。日本橋の北詰めに魚河岸跡があるが、もうあの辺りが海だった。直線距離で700mくらい。江戸の中心が神田で、神田明神があるが、その南側全域を守る神がこの神社」
「へえ……小さいのに」
京都伏見稲荷が出来たわずか2年後の711(和銅4)年に建立されている」
「すごい歴史があるんですねえ」

「寄席街道と呼ばれる中央通りへ向かおう」
「大家さんが勝手につけた仇名です」
「地図A新日本橋駅辺りに出た。室町4丁目にある看板。与謝蕪村が住んでいた夜半亭がここにあった」
「へえ」

「ここは石町の鐘が鳴る場所だった」
「時刻を知らせる鐘ですね」
「鐘があったという看板も近くにあるし、鐘は後で行く十思公園に再現されている」
「夜半亭という亭号も、鐘から取ったものなのじゃ……」

  夜半ノ鐘声客船ニ至ル

「……看板には解説がないが、唐の時代の張継が詠んだ『楓橋夜泊』という詩で、漢文の教科書にもよく載っている」

  月落烏啼霜満天(つきうていにおちてしもてんにみつ)

「……から始まる作品で、寒山寺といえばこの詩が引用される」
「へえ……そういえば大家さんは昔学校の先生だったのをクビになったんですね」
「そう誉めるな」
「誉めてないって」

「ここに長崎屋という薬種屋があり、オランダ商館長が江戸へ来る時の定宿になっていた」
「へえ」
「だからシーボルトもここに来ているし、ガリバー旅行記では、空飛ぶ国ラプタが嫌になって逃げ出したガリバーが、中国に下ろしてもらい、日本のナングサクから上陸、イドに来てショウグンに会ったというだから、きっとここに泊まったはずじゃな」
「はは……」
「その他、杉田玄白などもここで学んだ。まあ、それで、日本の蘭学の発祥の地という訳じゃ」
「はい」
「さて、福田神社からここまでたった210m。ここから南側へ道一本入ればもう最終目的地のお江戸日本橋亭なのじゃが、再び国道4号線を越えて東側へ」
「もういいでしょう、寄席へ行きましょう」

「ということで、地図Bへ移動。今日はここが一番長い距離。390m。こちらは於竹大日如来井戸跡。寛永17年、18歳で山形から江戸に出たお竹という娘が誠実で親切で、貧しい者には施しもする。羽黒山のお告げで大日如来の化身だというのでお堂が作られ、念仏三昧……江戸中から拝みに来た」
「え……本当にいたってことですか」
「58歳で亡くなるが、五代将軍綱吉の母桂昌院が、」

  ありがたや光と共に行く末は花のうてなに於竹大日
「と詠んだ。そのお竹さんの井戸の跡」
「すごい」

「井戸から80mのところにある、地図C宝田恵比寿神社
「こちらの由緒は」
「分からない」
「あら……やっぱり最後はいい加減になるのね」
「ここはべったら市で有名。10月の19、20日、前の通り全部に浅漬大根のお店が並ぶのじゃ」
「へえ」
「さすがに疲れた。今日紹介したのはたった850m。しかし、一日歩き続けたので、近くの喫茶店で一休み」
「で、次は」
柳森神社からお玉稲荷まで歩いた、あの道へ戻ります」
「え……まっすぐ行けばよかったのに……」
「地図の左上、秋葉原駅を下りたら、南側、神田、東京に近い出口から、鉄道の下を進んで橋を渡る」
神田川ですね」

17:小伝馬町牢屋敷跡へ進む     表紙へ戻る     15:柳森神社へ戻る

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