RRB東京散歩(秋葉原〜日本橋):その17「小伝馬町牢屋敷跡」

「さあ、日本橋界隈を離れ、小伝馬町まで参ります」
「何だかすごい無駄してますね……寄席の日本橋亭がゴールだし、その前の紺屋町からたった500m、柳森神社からまっつぐなら940mですよ。それをあっち行ったりこっち行ったり……」
「前回紹介した地図左下○印宝田恵比寿神社から290m。途中で休憩した」
「聞いてるのか、聞いてないのか……」

「まずは地図丸1の身延別院。こちらには日蓮さんの木造があるのじゃが今回は省略」
「……って、実は開帳されていないのです」

「ここで有名なのは油かけ大黒天
「油をかけるんですか」
長谷川一夫という俳優がいる」
「え……はい……」
「京都・伏見の出身で、そこに油かけ町というのがあった。そこで、ある油屋さんが、石像に水を掛けるはずが、過って商売物の油を掛けたら大繁盛しちゃった。戦後になって、奥さんが夢に大黒天を見て、ここの住職に相談した」
「はい……知ってると何でも喋るんだから……」
「すると、この住職も、幼い頃に夢で大黒様に叩かれそうになり、びっくりして目を覚ますと火事が起こっていて、夢の通りに逃げるとそこが火元だったので大事に至らなかったという」
「へえ」
「そういうことで、昔から伝わっている大黒様に油を掛けるようになったのじゃ……ああ、話が長かった」
「喋るのに疲れたね」

「さて、そのすぐ北側の公園……地図の丸2が昔の小伝馬町牢屋敷跡
「時代が時代だったら大家さんの定住地になっただろうね」
「そんなにほめるな」
「ほめてないって……」
「明治8年に廃止された。この写真を見るといい雰囲気に見えるじゃろうなあ」
「違うんですか」
「これは裏側、正面は普通の公園の鉄柵が有る程度」
「あらら」

「ここに収監されていた人と言えば、落語では八百屋お七
「へえ」
「『くっしゃみ講釈』という上方噺で覗きからくりの台詞が出るのに、『小伝馬町より引き出され……ホイ』というのがある」
「そうですか」
「これが東京落語になると、からくりの台詞が違って、『お寺さんは駒込の吉祥寺……アラエッサーイ』と調子が変わる」
「違いが面白い」
「まあ、落語ファンならご存知じゃろうが……」
「この碑は吉田松蔭終焉の地を示した物」
「あれ、お七は関係ないの」

「こちらは松蔭の辞世の歌。

  身はたとひ武蔵野野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 他に松蔭顕彰の碑というのもあるが省略」

「こちらは……三味線ですか」
杵屋勝三郎歴代記念碑。2代目が近くにいた縁で、このに碑が作られた」
「牢屋敷とは関係ないんだ」
「2代目は江戸末期から明治に掛けて活躍した。『安達原』『船弁慶』など、現在でも演じられる傑作を生み出している。森鴎外の『渋江抽斎』にも登場する」
「へえ」

「これは、日本橋の石町にあった時の鐘をこちらに移したという物」
「ああ、蕪村長崎屋敷のところにありましたね」
「ということで公園内をぶらぶら歩いて合計110m」
「じゃあ、先に行きましょう」
「はい、次回もこの回りを散策します」

18:小伝馬町周辺へ進む     表紙へ戻る     16:新日本橋界隈へ戻る

inserted by FC2 system