RRB東京散歩(日暮里〜上野):その4「子規庵」

「さあ、○印書道博物館。その向かいにあるのが★印が、正岡子規の住んだ家、子規庵
「はい、参りましょう」

「これが表の様子」
「普通の家ですねえ」
「言うまでもない、明治の作家で、短歌俳句という言葉は彼が提唱した。『ホトトギス』という雑誌を出すが、漱石はここに『』を書いて大人気作家となり、プロに進むことになるのじゃ」
「へえ」

子規は1902(明治35)年9月19日、この家で無くなった。母親と妹が残ったが、弟子が保存しようと努力したのじゃ。空襲で焼けたが、1950(昭和25)年、弟子達が昔のままの建物を再現した」
「雰囲気は分かりますね」

「こちらは子規文庫と呼ばれている蔵。昭和2年に子規の持っていた書物や遺品を保存するために建てられた。奈良の正倉院を参考として湿気にも負けずに資料を残すこととなった。空襲で母屋が焼けたのにこれは残ったのじゃ」
「すごいですねえ」

「庭の植物をご紹介。まずはやっぱり糸瓜
「いとうり」
「これでへちまと読む。実はとうりと読むのが正しかったのじゃ。江戸っ子が洒落でへちまと呼んだ」
「どういう洒落です」
「いろは歌じゃ。とうりの『』は……」
「いろはにほりぬるを」
「ほら、『』と『』の間にあるじゃろう、じゃから『へち間』じゃ」
「あら……」
子規は糸瓜の花が咲く頃に死に、彼の命日は糸瓜忌と呼ばれる。後で碑があるから、参照」
「はい。では庭を散策しましょう」

「こちらが庭の様子」
「奥にが見えますが」
子規庵保存に努力した寒川鼠骨という人の碑」

  三段に雲南北す今朝の秋

「という句が彫られている」

「こちらはですか」
「庭園の花を紹介しようと思って」
「何という花です」
「……次行こう」
「分からないんだ」

「こちらも」
の名前……分からないよね」

「これは鶏頭
「名前が分かる花は自信満々ですね」

  鶏頭の十四五本もありぬべし

「という句がある」
「有名です……か」
「十四五本という数字の意味についてセンター試験で出題されたことがあったな……この数字以外では詩にならないという代表的な作品の一つ」
「へえ」

「こちらが子規の碑。絶筆三句と呼ばれる、色紙に書いた句をそのまま碑にしたもの。真ん中に」

  糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな

「左に」

  痰一斗糸瓜の水も間にあはず

「右に」

  をととひの糸瓜の水もとらざりき

「という三句を書いたのが最後になった」
「はい」

  

「こちらは子規が使っていた井戸
「水はありません」
「はい、そういうことで、続いて子規の愛した豆腐のお店へ参りましょう」

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