足利への旅 その2:足利学校

「さて、足利市の中心部へ移動します」
「こちらは」
足利学校。奈良時代に国学を勧めるために作られたという説、平安時代に小野篁が作ったという説、鎌倉時代に足利義兼が作ったという説があって……」
「ちょっと待って下さい。時代が滅茶苦茶ですよ」
「まあ、要するに分からない訳で……室町時代に学校を再興して、ザビエルが日本最大の学校と紹介することとなった」
「へえ」
「写真は外から見た衆寮。学生が普段生活していた建物じゃ」
「じゃあ、中へ参りましょう」

「こちらは学校の門。1668(寛文8)年のものとされている」
「はい、古い門なんですねえ」

「こちらは孔子廟
「つまり学校では孔子の教えを学んでいたということですか」
「そうじゃな。先ほどの門と一緒に作られたそうじゃ」

「こちらは庭園ですね」
方丈から眺めた南庭園。山水じゃが、正直どうじゃろう……見ていて飽きるような気がしてならない。ちょっと作り過ぎという印象を得た」
「ま、素人の戯言(ざれごと)ですから、お気にされませんように」

「これは薪や農具、それから漬け物などの食料も貯蔵していたという木小屋。奥に見える白い建物は土蔵。書籍をのぞいた大切な物をここに納めていたという」
「建物の役割がはっきりしているんですねえ」

「さあ、裏へ回って、北庭園から見た方丈。この建物が普段の学校行事を行っていた場所じゃ」
「メインになるものですね」
「庭園は先ほどの南庭園が鶴を、この北庭園が亀をイメージしたという」
「色々考えているんですねえ」
「ま、そういうことで、こちらはこのくらいで……」
「はい、次へ参りましょう」

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