1月20日 千葉市取材(その2:飛行船格納庫〜護国神社)

「まずは右の写真」
「これは倉庫ですか」
「前回最後にあった平和の礎から5分も掛からない場所にある川光倉庫という会社が今でも使っている倉庫」
「古そうですねえ」
「戦争中は飛行船の格納庫として使われていた物じゃ。下は市の資料館にある倉庫の写真。ただし、こちらの写真は第1倉庫で現存せず。右のわしが撮ったは第2倉庫ということじゃ。昭和2年に気球連隊が設置されているから、爺さんも関わったかも知れないが資料にはない」

「ここから南へ15分歩いて千葉医療センターという所へ出た。これは戦時中の陸軍病院。県で建築したのなら爺さんも関連したのじゃろうが、良く分からない。それに入り口は反対側らしく、ぐるっと回ったのに見つからず、今回は中を取材するのは断念」
「それで、上右の写真は」
「これは鉄道大隊の記念碑。このすぐ先に椿森公園というのがあって、そこに将校集会所があったという。右にある写真がその跡。ちょうど避難訓練をやっていたので、少し話でも聞こうと思ったが、それどころではない様子だったので……」
「次へ行きましょう」
「これからモノレールが走っている大通りへ戻ると、ちょうど千葉公園。前の『なわしばりの塔』の次の駅じゃ」
「随分歩いたんですね」
「ひとまず公園を突っ切って護国神社へ」

「これはお爺さんが関連したのですか」
「宮司さんにインタビューしたのじゃが、昭和20年7月7日の空襲で焼けてしまい、戦後ここに移転し、昭和42年に遷座祭を行ったというのじゃ。右の写真はその記念碑で、そこに同じことが書かれている。
 焼けてしまった社殿は昭和15年に着手し、昭和18年3月に竣工したという。これが爺さんの仕事じゃ」
「今のとは違うんですね」
「そうなるな。お話によると、今の千葉城がある所が元の場所だという」
「そうなんですか」
「さて、千葉公園へ戻るが、それはまた次回」

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