1月20日 千葉市取材(その1:西千葉〜平和の礎)

「爺さんが戦後すぐに書いた『春愁記』という手記がある」
「はい。ブログで少しずつ読み進めていますね。」
「ブログは間もなく3分の2の所。内容は『郷里岡山時代』が全体の3分の1を占めた。明治40年頃の岡山市内が描かれていた」
「それから『名古屋時代』、これは大学時代ですね」
「半分が軍隊経験について書かれたもの。そして、最初の就職先が『横浜時代』として、開港記念館(通称Jack)の建築技師として働くのがメインじゃ」
「現在このあたりを公開中ですね」
「その後、東京へ転勤、更に生活苦から大阪へ。ここでは宝塚線沿線が描かれているので、一昨年の9月に取材した」
「はい、それで今回は」
「その後、千葉の県庁に勤務して、関東大震災から終戦までの社会が描かれるのじゃ」
「これも楽しみですね」
「まあ、実際には読み終えて、分からない文字や読み間違いのチェックを行っている。そこで、最後の千葉を取材に行こうというのが今回のたくらみ」
「手記に描かれているのは」
「戦争の頃が詳しいので、戦争で使用した施設や空襲の資料を見せてくれるという、千葉市が行っている『平和の礎 史跡散歩』というのじゃ」
「はい、すでに2枚も写真があります」
「右上は西千葉駅前のお稲荷さん。ここは江戸時代には佐倉藩の刑場だったという」
「左は」
大日寺境内。ここは守護であった千葉氏の墓があった所じゃ」
「右もお寺のようですね」
「こちらは来迎寺。実はこの二つの寺、いずれも戦争で焼けてしまったのじゃ。手記を書いた爺さんの家も昭和20年7月7日の空襲で焼けてしまった。爺さんの手記では6日と記されているが、6日の夜から朝まで大変だったようじゃ」
「はい」
「下左の写真はついでに立ち寄った『なわしばり塔』。昔風邪をひくとここに縄を縛って治癒を祈り、治るとほどきに来たという……まあ戦争とは関係なさそうじゃが、とりあえず紹介があったもので……」
「はい、大家さんの適当な取材ですから、気にする人もいないでしょう」

「この上の方に見えるラインが千葉のモノレール。これにそって少し北へ移動すると、作草部公園というのがあり、ここに『平和の礎』という祈念碑が残っている。ここは陸軍歩兵学校の跡地なのじゃ」
「はい、写真は下になります」
「そういう訳で第2部へ続く」

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