8月28日 千住・吉原・浅草を行く:その1「河原稲荷」

「さあ、今日は千住から吉原浅草まで歩く」
「7月からずっと真夏日が続いています」
「暑い最中歩くのじゃからその用意もしているぞ。わしはペットボトルの飲料を買うこともあるが、1本買うと3日は飲める」
「けちだね」
「それがこの日は何と1日3本飲み干した」
「この夏は暑かったですからねえ」
「さあ、まずは北千住駅から千住大橋まで1.6キロ。途中で千住の河原稲荷に立ち寄り」
「右の写真がそのお稲荷さんですか。赤い幟がありませんね」
「ここは千住七福神の1つ、福禄寿がいまします」
「はい、左の写真がそれですか……石なんですねえ」
「東京には多いな」
「なぜなんですか」
「分からない」
「しょうがないね」
「右下の写真は句碑。やっちゃばの問屋が木を奉納した時にこの句碑を建てたという」
「やっちゃばって何ですか」
「青物市場じゃ。競りの声が『やっちゃ』と聞こえたという。江戸周辺に3ヶ所あったというが、千住で売られた物が他の市場へ転売されるため、最も早く、午前3時に競りが始まったという。幕府の御用も務めたのじゃ」
「そういう歴史があるんですか」
「後は駒込。辻のやっちゃばと呼ばれ、土がついたままの野菜が売られた。もう一つが神田で、今の秋葉原駅の当たり。あすこは、朝の市が終わると何も無くなる寂しい場所じゃった。明治の初めに火事で焼け、後に祠を建てたが、火事の神様である秋葉様だろうと誤解され、秋葉原(あきばはら)と呼ばれるようになった。駅員がバカで、『あきはばら』という訳の分からない読み方をし、それが通称となってしまう。今のように賑わう場所となったのは戦後のことじゃ」
「大家さんの蘊蓄が長いね」
「句碑には『誓ひての後のたのみや夏木立』とある。作者不明、文字は薬局のご隠居とか……」
「よく分からない」
「そう。なぜ句碑を奉納したのか、誰の句なのか、謎じゃそうじゃ。何かご存知の方はお知らせを」
「さあ、寄り道に時間を取ってしまいましたね」
「うん……目的の千住大橋周辺は次のページにしよう」

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