8月19日 茨城・福島・栃木を行く:その8「勿来の碑」

「勿来の関で最も有名なのがこちら。源義家の歌。
  吹く風をなこその関とおもへども道もせに散るやま桜かな
 高校の古文で習うが、『な……そ』が禁止を表す。北原白秋の歌に『春の鳥な鳴きそ鳴きそ』というのがあるが、『春の鳥よ、鳴くな、泣くなよ』とでも訳すのじゃな」
「それがあるんですか」
「『なこそ』という地名が、『な来そ』で『来るな』という意味に通じるのじゃ」
「あ、すごい」
「この作者は八幡太郎と言った方が通じるかな。そんなあだ名が付くほどの武士で後三年の役でも活躍した。しかし、朝廷ではこの戦を私的な闘いとして恩賞を与えなかった。仕方なく私財をなげうって家来に褒美を与えたが、結局源氏は没落し、平家が台頭していくことになる訳じゃ」
「歴史の勉強でした」
「勅撰和歌集に選ばれた唯一の歌がこれ。『千載集』103。
  来るなという名の勿来の関だから、吹く風も来るなと思うのだが、
  道をふさぐほど山桜が散っているなあ。
 こんな程度かな」
「手前の碑がその歌ですね」
「奥はこの碑を建てた経緯」

「今度は俳句のようですね」
「『奥の細道』で芭蕉が詠んだ、
  風流のはじめやおくの田植えうた
「『奥の細道』でここを通ったんですか」
「通る訳がない。なぜここにあるのじゃろうな」
「知りません」

「これは小野小町の歌、
  みるめ刈る海人の往来の湊路に勿来関をわれすえなくに
 海松布を刈る海人が往来する湊の道に、「来るな」という勿来の関を私は据えていないのに……あなたが私を見る目離れているんじゃないの
「あら……最後が変な訳ですね」
「『みるめかる』が『海松布刈る』と『見る目離る』を掛けるのじゃ。その意味を最後につけて、最近来てくれないのねって訳じゃ」
「難しいですね」
「飲み屋の女が手紙に『みるめかる』とだけ書いて寄越したら、飛んで行くじゃろうな」
「みんな分からないかも」

「これは和泉式部
  なこそとは誰かは云ひしいはねども心にすうる関とこそみれ
 『来るな』なんて誰が言ったのよ。誰も言っていないのに、あなたが心に作った関所だと見えるわ……あなたが心の隔てを作って、私に会いに来ないんでしょ……ってなもんだ」
「女性の歌は男への恨みばかりですか」

「まだ半分も紹介していないのだが、最後に斎藤茂吉の歌。
  みちのくの勿来へ入らむ山がひに梅干ふゝむあれとあがつま
 東北の勿来の関に行く山間の道で、梅干を口に含む私と私の妻。古典と比べると報告に過ぎないように感じるなあ」
「新婚旅行ですか」
「結婚したばかりだが、亡くなった長塚節をしのんでの旅で……ううん、これも新婚旅行なのじゃろうなあ」

「こちらが関所のあった場所ということですか」

「最後に関の入り口と義家像でございます」
「最後は例によって手抜きの説明」

「これがその道の様子。はい、夕食のために、ホテルへ急ごう」
「はいはい」

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