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(自画像)

   ※1春愁記

 今年で人生いよいよ※2六十を数えることとなった。しかも敗戦の世相の中に生きのびて来たことを憶うと、殊に感の深きものを覚える次第である。戦災をうけた※3千葉新宿町の家はもちろん、大阪や東京、横浜時代に住んだ家を始め、自らの生まれた岡山の家などどれも現実の世から消え去ったことは、万事過去の中に葬り込まれた夢となってしまった。歴史とはなるほどこんなものかと不思議の様にも思えることであるが、この夢において何にかえても再び手に入るることの出来ないものだけに、尊いものとなってしまった。今のうちに幻の消えない姿を書き留めておきたいと思い立ち、※4書店中島でこの

灰燼

帖を※5大奮発して求め、気の向く日を待ちながら今日に及んだ次第である。
 まず書いてみたいことは祖先のことであるが、古文書等は全部戦災まで幾分なりとも伝来のものなど保存して来たのを消失してしまい、参考にと思って買い集めた書籍も全部灰燼(かいじん)に帰してしまったことであるから、この点はただ記憶の一部に留まるより他になく、ただ戦災後間もなく市川市の駅頭で闇市の露店で求めた「
※6山中鹿之助」なる書中に活躍した時代のことが著されているのが手がかりであるばかりである。他には地名辞書中にのっている項目だけは参考の資とするに足るものとは思っている。何にしても万事思い出からの出発である。
 昭和二十三年二月十二日 夜半 しるす


注:
※1
春愁記」:右が本文の題字。
※2六十」:筆者は明治22(1889)年生まれ、年齢は数え年。
※3千葉新宿町」:千葉市中央町新宿。
※4書店中島」:
千葉市中央町、「吉川公園」駅東側に現存。
※5大奮発して」:文壽堂出版部の『自由日記』で昭和22年12月15日印刷、20日発行、定価150円とある。サイズはA5。
※6山中鹿之助」:戦国時代の武将。尼子一族の大将として働くが、敗北、尼子再建を願うも実現せずに死んだ。これと戦ったのが、尾張木梨の庄を本拠とした杉原一族。盛重(?〜1581)が備後神辺の城主として尼子を攻め、5年がかりで城を落とした。筆者の父や祖父は一時木梨を名乗ったとあり、これが杉原家の先祖ということなのだろう。祖父の愛三郎も字(あざな)を盛重というらしい。

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