RRB東京散歩(秋葉原〜日本橋):その19「椙森神社〜三光神社」

「さあ、小伝馬町駅をスタートにしよう」
「地図の上にある○印です」

「通りを南側へ渡り、ちょいと西へ入ります。交差点から340m」
「地図の丸1ですね。新日本橋からすぐだったのに」
「場所が分からないでスルーしちゃった」
「しょうがないね」
馬込勘解由屋敷跡。江戸時代に駄馬人足を率いる役割をしていた」
「それが馬込って人なんですね」
「家康が江戸に入った時に出迎えて、道中伝馬役に任命され、それから代々勘解由を名乗る」
「へえ」
「この時、宝田村に屋敷があり、それが前々回に紹介したべったら市でお馴染みの宝田恵比寿神社という訳」
「はい、実はすぐそこ……★印だったのです」

「さて、そのまま南へ190m。地図の丸2へ向かいましょう」
「暑いのに……」
「ペットボトル2本目を飲み干して、3本目を購入……ありがたいのは、この辺りは自販機が100円じゃから」
「ケチな大家さんならでは」
「こちらは椙森神社(すぎのもりじんじゃ)」
「小さなお社ですが」
「まだ江戸のなかった時代にあったことは確認されている」
「古いんですね」

「こちらは富塚
「富くじですか」
「江戸時代には幕府公認の富くじと、寺社が自主的に行うものがあった。江戸に15箇所、年に120回という記録がある。公認のものは谷中の天王寺(現:感応寺)だけだったが、文化9年に、目黒の不動尊(竜泉寺)、湯島の天神(喜美院)も認められ、これが江戸の三大富くじとなった。湯島のだけは現在お寺が無くなっている訳じゃ」
「で、こちらは」
「江戸の三森の一つで、そこに富くじがあった。落語の『宿屋の富』は、馬喰町の宿に来た旅人なので、富くじはここでなければならない。因みに古今亭だけは湯島を舞台にしている」
「へえ」
「千両というのはほとんどなく、1分(4分の1両=2万5千円)で5千から1万枚売られた札のうち、最高が普通は百両(1千万円)というのが普通」
「確率は宝くじよりいいっていいますね」
「百両当選すると、1割が奉納金として没収され、次回の富くじを5両分買う義務があり、寺社などの関係者の手数料が5両……最低これだけは持って行かれる」
「あら……落語の『御慶』で、随分割り引かれるってのがありましたね」
「あれは歳を越してから受け取れば全額だが、今受け取ると8割だけだといわれる。実はそこからさらに2割引かれて、千両当たったのに600両しか受け取れないというのが本当じゃろうな」
「まあ当たったからいいけどね」

「神社から130m。こちらは掘留町交差点
「はい、地図の丸3ですね」
「川などを埋め立てて、川がここで終わりという場所が掘留と呼ばれる。ま、そういうことじゃろう」
「いい加減だね」

「交差点から120m、地図丸4の所、点がポチポチと付いているのが三光新道
「こちらは」
「落語『百川』で、今の三越前辺りにあった料亭からここまで使いに来る」
「ああ……歌の師匠を呼ぶのに、お医者さんを連れて来ちゃうんですね」
百川の跡は最終回で出てくると思います」
「まだまだ先だろうな」

「ここは丸4三光神社の参道なのじゃ。落語では実際にこの道に住んでいたというよりも、この周辺ということなのじゃろう」
「はい。わずか50m、狭い通りです」

「こちらが三光神社の鳥居」
「はい」

神社
「どんどんいい加減になります、すみませんね」
「これから久松を回って人形町の交差点へ行こう」
「まだまだ歩きますよ」

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