RRB東京散歩(日暮里〜上野):その11「下谷」

「さあ、RRB散歩の続き……地図を見やすくしようと思って、黄色と赤で示したのじゃが……」
「あまり効果はありませんね」
「右下の赤丸本法寺
「前回ご紹介した落語寺」
「今回は左端まで歩くのじゃ」
「参りましょう」

「こちらは通過点だからついでに寄った。地図の@
本法寺から740mくらいですか」
稲荷町駅前にある永昌寺
「静かなお寺ですね」
「わしの行く所は誰も見向きもしないなあ」
「大家さんと同じですね」
「そう褒めるな」
「褒めてないって」

「こちらは境内にある碑。『講道館発祥の地』とある。嘉納治五郎が柔術を学んだ末に作り上げた道場が講道館。術ではなく道を究めるのだということで、柔道と呼ぶようにし、道場にも道の字を入れたという」
「へえ。それが最初はここに出来たんですか」
「そういうことじゃな。1882(明治15)年のことじゃ。では、中央通りの向こう側へ行こう」

「鳥居が見えて来ました」
「今日のメインとなる目的地、地図丸2下谷神社じゃ」
「またメインですか……」
「鳥居の文字は東郷平八郎の文字」
「へえ」

「ここから入ると、奥に石の鳥居が見える。永昌寺から190m」
「参りましょう」
「730(天平2)年に忍ヶ岡に創建されたが、寛永寺造営のためにこの地に遷った。稲荷町という地名もここから出ており、江戸時代にはご開帳やお祭りで大変な賑わいだったというのは、芝居や落語でもお馴染み」
「お稲荷さんですか」

「もう一つ山門をくぐって本堂へ」
「はい」
「実は関東大震災後、更に移動して今の位置に落ち着くのじゃが、この時に下谷神社という名前になった」
「なるほど」

「本堂の天井の横山大観が描いた物じゃ」
「すごい」

「はい、目的はこれ。左が寄席発祥の地の碑
「ここで寄席が始まったんですか」
「1798(寛政10)年に三笑亭可楽がここで落語の席を開いた。これが初めてお金を取って噺をする会だったのじゃ。碑は200年を記念した1998(平成10)年の建立、先代の柳家小さん(5)が書いた文字」
「ほう」
「さて、その右は正岡子規の句碑じゃ」

  寄席はねて上野の鐘の夜長哉 子規

「もうお馴染み、子規の字は読みやすいな」
「はい」
「さあ、上野駅まで1駅じゃが、ここまで来たらもう歩いてしまおう」
「この日の最終目的地、三越前まで同じ路線なんですがねえ……」

12:上野駅周辺へ進む     表紙へ戻る     10:本法寺へ戻る

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