RRB東京散歩(日暮里〜上野):その1「羽二重団子」

「ブログで募集したRRB散歩
「え……RRBって何です」
「落語と歴史、文学散歩の略」
「今思いついたな……そういえばブログで参加者を募集していましたが、何人来ました」
「ゼロ……まあそうじゃろうなあ、1日で約20kmを歩こうというのじゃから……」
「それに落語、文学、歴史って、趣味がないとねえ」
「趣味に合わせて体力がないと……というよりも根性じゃな。実はこの後2日間は足に湿布をしている。松尾芭蕉が『奥の細道』に行く前に三里に灸したというが、それが実感される」
「無理矢理こじつけているな。三里ってのは足のツボで、健脚になるそうです」
「今回は日暮里駅から歩き始めます。第1章は上野まで」
「はい、地図が出ています」

「地図の@日暮里駅
「はい、南側から出たので、写真の出口です」

「こちらの改札から歩いて260m」
「近いですね」
地図A善性寺。1478年の開創じゃが、1664年に六代将軍家宣の母が葬られてからは将軍家所縁の寺となっている」
「へえ」

「これは中の大黒様
「はい、今回七福神のメンバーも色々出ますが、まとめては行きません」

「こちらは同じ境内にある隼人稲荷神社
「説明はいい加減です」

羽二重団子……団子屋さんですか」
「地図のB。いきなりじゃが、今日の散歩はここがメイン。お寺のすぐ向かい。1819(文政2)年創業の藤の木茶屋が前身。この団子のきめの細かさが、羽二重のようだというので、いつのまにか菓子の名前となってしまった」
「へえ」
正岡子規の句、
  芋坂も団子も月のゆかりかな
 はこの店を詠んだもの。この脇の道が芋坂と呼ばれたのじゃ」
「さあ、さっそく文学が出ました」
正岡子規は明治25年に根岸に住むようになり、死ぬまで10年間をここで過ごした」

 芋坂団子を買来たらしむ(これにつき悶着あり)あん付き三本、焼一本を食ふ。(『仰臥漫録』明治34年9月4日)

「この他、次の作品も残る」

    観月会
  芋坂の団子の起こり尋ねけり
    根岸名所の内
  芋坂の団子屋寝たりけふの月
    短歌会第四回
  芋坂の団子売る店にぎはひて団子くう人団子もむ人

団子は1本210円、ちょっと高く感じるがそれだけの価値があるということで」
「大家さんは」
「わしは甘い物は……まだスタートしたばかりだし……因みに、お店でいただくなら、餡と蜜にお茶が付いて525円」
「大家さんはお酒ですからね」
「さあ、根岸の中心地へ向かおう」
「それは次のページで」

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