11月21日 土浦を行く:その4「等覚寺など」

愛宕神社下から900mちょい、土浦駅西口から国道6号へ抜けるバイパスに出ると、その下に看板がある」
「何です」
「ここに土浦城の南門があったのだという」
「広かったんですね」
「そうでもないかな。城跡まで直線で500mというところじゃ」
「で、右の写真は」
「交差点から100mで東光寺に到着。こちらは瑠璃光堂
「すごい色彩」
「彫刻もすごいな。天邪鬼に唐獅子など。寺の記録により、1739年の物で関わった大工などの名前までが記録されている」
「貴重な記録ですね」
「碑は俳句らしいが、よく読めない。また今度」
「今日は忙しいので」

のアップで、次へ行こう」
「本当に忙しい」
「再び100m程歩いて等覚寺に到着」
「こちらは」
「鎌倉時代の初期建仁年間(1201〜04)の創建と伝わる。当初は極楽寺といい、小田原の小田氏の分家が作ったらしいが、戦国の世になると佐竹、北条らと対立し、秀吉に協力しなかったことで領地を没収、寺も焼かれた。江戸になってから土浦藩主となった松平により、慶長5(1605)年、城内となる現地に再興された時に今の名前になった」
「説明が長いね」
「看板も何もないから調べた……お墓を見ると『南無阿弥陀仏』と彫られたのが多数見られるから、真宗のお寺だと分かるな」
「大家さんの家がその宗旨だから、これは分かります」

「門前の道はこんなになっていて……」
お墓ですか」
「古い物を集めたのじゃろうか、土浦ではよく見られる物じゃ」
「ふうん」

「上が鎌倉時代建永元年の銘がある銅鐘。年代のはっきりしたものでは関東で最も古い」
「へえ」
「般若寺、長勝寺の物と常陸三古鐘とされておる」
「右は……」
の向うに本堂の屋根」
「やあねえ」
「レベルの低い洒落じゃな。噺家でも言わないぞ……一人を除いて……この松も見事じゃな。一本しかないのじゃよ」
「へえ」
「さあ、観光の中心地へ向かってまた歩こう」
「まだ歩くんだって……」

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