8月28日 千住・吉原・浅草を行く:その12「本法寺」

千住から吉原を経て浅草まで参りました。の散策。前ページで紹介した台東区立図書館から合羽橋商店街を抜けてちょうど1キロメートル。本法寺に到着しました」
「はい、すごい壁が出ていますね」
「噺家や寄席の名前が赤で書かれている。1954(昭和29)年前後のものじゃ」
「懐かしい名前ということですか」
「ほとんどは今いる噺家さんではなく、先代、先々代ということになるな」
「これを眺めているだけでも面白いですね」
「中へ入ろう」
「左の写真は碑ですか」
「左側の大きいのがはなし塚。昭和16年、戦争になって行くと、時局に合わないということで、郭噺、不倫噺などの教育的でないものを禁演落語とした」
「へえ」
「それで、その落語をここに埋めたのじゃ。戦争が終わるとすぐに掘り出されたが、今度はアメリカの命令で、敵討ちなどが禁止された」
「落語なのに……大変な歴史があるんですね」
「そう、そこじゃ」
「どこです」
「落語なのに……ってところじゃ。落語は楽しみであり、息抜きになる。それを禁止したということ自体がばかげたこと。実は志ん生は平気で演っていたという」
「ばかげたことを強要される時代だったということですか」
「いや、このはなし塚の恥は、噺家達が自ら選んだということじゃ。まあ、落語の歴史に残る恥じゃな」
「その後のアメリカの命令ってのは仕方がないですか」
「戦争に負けたのじゃからなあ……『欠伸指南』を聞いたGHPが、こんな下らないことを考えていないで、もっと建設的な落語をやりなさいと言ったとか……まあ、落語を理解出来ないのは仕方がない。しかし、噺家家自ら教育的でないという物を選ぶとは……それなら落語そのものをやめるべきじゃ」
「大家さんがどうでもいいことをうだうだ言っております」
「もう右にアップの写真が出ているが、上の写真ではなし塚の右にある小さいのは扇塚。噺に使った扇を収めたもので、平成15年に芸協が作ったもの。十代文治師匠が提唱したものじゃ」

「こちらもアップで……で、落語協会はどうなっているんです」
お焚き上げがお馴染み。今はお正月の神社などでも古いお守りなどを焚くことが禁じられているので、見られなくなった。数年前までは見物に落語ファン千人以上が集まったものじゃ」
「すごいですねえ」

「こちらはお伽丸柳一の碑。上下割れたように見えるが、その右の方に皿と、それを回す竿が見える」
「曲芸の人ですか」
「よく分からない。碑文から戦前の人であることは確かじゃが」

「さあ、最後は」
筆塚。これで、今日は通りへ出て田原町から地下鉄を利用」
「一日ご苦労様でした」
千住から無駄無しで歩いて7キロを超える程度。実際には8キロ以上歩いたのじゃろうな」
「ご苦労さまでした」
「これから木場から深川へ参とります」
「まだ歩きます」

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