8月19日 茨城・福島・栃木を行く:その5「天心記念館・六角堂」

「さあ、先ほど遠くから眺めた六角堂へ行こう」
「参りましょう……」
「まずは、井戸」
「あら……何です」
黄門の井戸という。水戸光圀公が、水を飲もうとしたが、深いため水まで届かない。ところが、持っていた杖がぶつかった所から、水がわき出したというのじゃ」
「……弘法の井戸と似た話ですね」
「ううん……ちょっとした違いで感銘もなくなるなあ」

六角堂というのは……」
「茨城大学の五浦美術文化研究所になっているが、入るとまずあるのが天心記念館
「こちらは」
「天心の収集した物や残した物を展示してある」

「こちらは道ですか」
ウォーナー像の脇の道……像は省略するが、この人、京都・奈良の文化財を守った人とされてきた」
「違うんですか」
「戦後50年になって発表されたアメリカの資料で明らかになったように、アメリカは日本の壊滅を計画しており、野蛮国の文化財など興味はないという姿勢だったのじゃ」
「へえ」
「それが、この人が京都の文化財を守るために一切攻撃をしなかったということにされてしまった」
「真実ではなかったんですね」
「三つ目の原爆が京都に落とされることになっていた。全く空襲をしていないので、一発でどれだけの効果があるかを調査するためだった。それがその直前に日本が降伏してしまったのじゃ」
「それが、日本を守ったことになっているんですね」
「京都には、アメリカに対するお礼の碑も残っている」
「ちょうど終戦の日の後だったので、このような話題になっております」

「さあ、海へ下りて行くと、六角堂。ここは瞑想の場であり、語らいの場であり……」
「海を見ているだけでも一つの世界ですねえ」

「海側から見た六角堂。因みに、駐車場のトイレも同じ形」
「どうでもいい報告」

「はい、こちらが。向こうに見える高い岬が、昨日報告した五浦岬じゃ」
「あそこから見た景色だったんですね」

「戻って来ると旧天心邸
「つまり、ここで生活していた」

「そう。すぐ前に『アジアは一なり』の碑がある。写真は省略」
「どうしてです」
「まあ、この言葉は、軍隊に利用された。アジアは一つだから、一つの国家にするというので、日本がアジアを制覇するのだという意味で浸透させた」
「本当は違うのですか」
「天心の書いた物を読めば、全く違う。それぞれの国の特性を持っているが、その精神、根本にあるものは共通だということなのじゃ」
「これも戦争の見直しですね」

「最後に、岡倉天心の墓
「古墳ですねえ」
「はい、今回はただ回れば自然と天心に接するもの。戦争について考えることも出来るという……」
「ちょうど、終戦記念日の週でしたので」
「はい、明日は天心美術館へ参ります」

6:天心美術館へ進む   表紙へ戻る   4:五浦岬公園へ戻る

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