市川を行く:その3・里見公園

「さて、市川里見公園。ここも国府台という土地で、その名の通り、昔の国府があったという……それがこの場所。昔の城跡らしい」
「へえ」
「1478年に太田道灌が戦いのためにここに陣を作ったのが始まりとされているが、まあ、そういう目的の小さな城ということじゃろう」
「はい」
「写真はバラ園。とりあえず写真は何枚か撮ってあるが、そこから2枚だけをご紹介」
「今年は花の写真が多いね」

「さて、公園をぐるっと一巡りしようか」
「こちらは井戸ですか」
羅漢の井といって、1834年の『江戸名所図会』にも紹介されている」
「ここ……江戸ではありませんね」
「そうじゃな。江戸ってのは神田周辺で、吉原の人でも『江戸へ行く』って言っていたそうじゃ。しかし、まあ周辺ということで、市川が15ヶ所も取り上げられているのじゃ」
「まあ、広い範囲の案内なのでしょうね」
「ここから公園へ登る。奥にあるのが夜泣き石
はい。写真左下でございます」
1564年、ここでの合戦で落語『やかん』のような夜討ちでの混乱で大敗……五千人が死んだ……まあ、これが『里見八犬伝』につながるのじゃ」
「これも文学つながり」
「里見家の武将里見弘次が戦死したが、12、3歳の娘がその菩提を弔うために安房からここまでやってきたという。ここで泣き崩れた娘は、その悲しみの余り息絶えるが、それから毎夜泣き声が聞こえるという……それでこの石を供養したら泣き声がやんだ」
「色々な伝説がありますね」
「しかし、史実と合わないのは、この里見弘次が戦士したのは15歳だったという」
「え……」
「慰霊碑があったので、その人ってことにされたらしいな」
「なるほど」
「ここで討ち死にした里見軍将士の霊を慰める慰霊碑が並んでいる。他に古墳などもあるぞ」
「はい、ぜひお出掛け下さい」
「さて、この碑と羅漢の井の間にあるのが北原白秋の住まい『紫烟草舎』、しえんそうしゃと読むのじゃろうか。要するにたばこの家って意味。小岩にあったものが、江戸川の工事のため解体され、そのままになっていた。これを復元したものじゃ。その前に白秋は真間、亀井院にすんでいた。これからそちらへ向かう」
「つまり、この報告はまだ続くのです」
「はい、この公園の裏には総寧寺という寺もあります。普段は開いてないので……まあ、全部ゆっくり見ても1キロほど散歩すれば……」
「よく歩いているね」
「実は、そのために、膝の筋が伸びて、医者へ通うことになってしまった」
「後先のことを考えない大家さんらしいですね」
「さあ、それでは次の場所へ出発」
「それはまた明日」
「わしの台詞をとるな」

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