4月12日 予科練跡

「さて、爺さんの手記『春愁記』というのがあって……」
「丸4年も掛けてまだ終わりませんね」
「実際には日記帳で366ページ。一応読み終えたものの、まだ見直しその他で手間が掛かっている」
「なかなか歴史的に面白い内容ですよね」
「明治の頃に岡山で生まれた。最初に出てくる歴史的事件が旅順陥落
「古い」
「昭和23年、戦争が終わって還暦を迎える60歳を前に書かれたものじゃ。ブログではやっと大正11年前後の部分を紹介しているところじゃ」
「絵入りというのが面白いですね」
「さて、その最後に、息子が……これはわしの伯父に当たる人物なのじゃが、予科練に入隊し戦死している。実は『春愁記』は戦後になってその死亡通知が届いたところで終わっているのじゃ」
「へえ」
「さて、そこでせっかく土浦勤務をしているので、予科練の跡地を見学に行く責務がある」
「ないない」
「爺さんが駅から歩いたというので、わしも職場から歩いたが、1時間半も掛かってしまった」
「大変ですね」
「さて、ここは自衛隊の訓練を行っている場所で、右上のように戦車・装甲車が並んでいる」
「物騒ですね」
「下は予科練の歌にある『七つ釦は桜に錨』の制服。爺さんの描いたものじゃ」

「それで、取材に行った訳ですが……」
「とにかく内部は写真はもちろん、メモを取るのもダメ。この伯父さんの記録くらい知りたいと思ったが、中の人はこの絵にも全く興味はないらしく、とにかくダメという一点張りじゃった。
何のために資料館を作ったのじゃろう」
「さあ」
「右は外にある像。制服がよく描けていることが分かるな。とにかく爺さんは全てを空襲で焼かれて、記憶だけを頼りに描いているのじゃから、感心するばかりじゃ」
「すごいですね」
「この絵は364ページ、全体で最後から3ページ目にある」
「これで、大家さんの取材はほぼ完了ですか」
「そう……後は名古屋がぽっかり抜けているが……実は息子が名古屋勤務なので、行きたいのじゃが……」
「息子さんも迷惑でしょうからね」
「そうそう……誰が迷惑じゃ」
「はい、そういうわけで、予科練跡のご報告でした」

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