1月24日 小原孝演奏会

「さて、今日は小原孝の演奏会」
「写真右ですか」
「いや……実はその……」
「また……何なんですか」
「これは2002年12月8日の演奏会で撮った写真」
「あら……6年も前ですか」
「実はその後演奏会があっても行けなくて……」
「昨年のヘルマンさんもそうでした」
「そうなのじゃ。ついつい忙しくてご無沙汰してしまう。よく行ける相手と、なかなか行けない相手とがあるのじゃ」
「これも運命ですね」
「そういうことで、ようやく6年振りの再開となった訳でございます」
「前置きが長いね」
「本人も言っているように、大きなヒットもなく、いよいよデビュー20年」
「ひどい言い方」
「とにかく、『大きな古時計』も『イマジン』も他の形でヒットして、この人は売れなかったからなあ……」
「それもひどい」
「しかし、今回のは意義深いぞ」
「どういうことです」
「ドラマがあるのじゃ。実はわしは歌謡曲は分からない」
「何が分かるんだかね」
「クラシックなら……作曲家がこんな気持ちで書いたのかなっていうのを、演奏家が表現する……そのレベルなのじゃ。だから歌謡曲の方は分からない部分が多くて……しかし、何度も聞いていると何となく理解出来る。奈織ちゃんの演奏する裕次郎の世界など、聞き込んで初めて理解出来たのじゃ……理解したつもりになったというのが正しいかも知れないがな……」
「今日の演奏会もそうだというのですか」
「そう……今回の演奏会は新しいCD、阿久悠の作品を集めたものからの曲なのじゃ」
「へえ」
「演奏の合間の話が実に蘊蓄に飛んでいる。なぜこんなCDを作ろうと思ったのかから始まった。そして、5千曲の作品から選んだのが100以上……そこから1人のアーチストに対し1曲として選ぶ苦悩……それがまずドラマなのじゃ」
「すごい世界ですね」
「ということで、今回の演奏した曲は、まず『もしもピアノが弾けたなら』、これは『エリーゼのために』が聞こえて来る。今度のアルバムには『猫ふんじゃった』を使った『ひまわり娘』とか、『約束』にショパンが聞こえるなど、センスもいいぞ」
「はい」
「それから、昔のアルバムに入れようと思って落とし、13年振りに演奏したという『五番街のマリー』。このアルバムを作ろうと決意した作品『思春期』、阿久悠さんが書いた文章による『翔歌(しょうか)』を弾き語り(ピアノを弾きながら朗読すること)で、阿久悠さんが『あなたは日本語でピアノを弾く』と認めて下さったという思い出の『舟歌』と続いた。すっかりしんみり雰囲気が続いたので、最後に『あの鐘を鳴らすのはあなた』、『学園天国』……これで予定の1時間を終了」
「曲は少ないですが」
「間で、説明したような話をされて……ううん、歌謡曲で感動に涙が出そうになった……生まれて初めてじゃよ」
「それで、無事終了」
「とんでもない、CDのサブタイトルにある『また逢う日まで』がないじゃないか」
「知りませんよ」
「これがアンコール。歌謡曲でもこれだけ心動かすドラマがあるのじゃな……わしもクラシックを演奏して、アンコールで『TSUNAMI』とか『Everything』とか……時にはCMソングやアニメの主題歌で遊ぶ」
「大家さんはどうでもいい」
小原さんはこういう曲をクラシック調とかポップス系とかいうのでなく、完全な小原調で演奏している。わしはそれをクラシックで演奏しているのが面白い」
小原さんが上ってことですか」
「さあ……それぞれの考え方を持って演奏していていいんじゃないかな……最初の曲で説明したように、小原さんもクラシックを引用しているじゃないか」
「あ、そうか」
今日はそういう説得力を持ったものじゃった」
「ふうん」
「人は邪道だというが、感動させればいいのじゃないか……感動というのも、喜怒哀楽、様々な形がある……そういうことも感じさせる、素晴らしい演奏会じゃった」
「最後に記念写真」
「あら……最近になく、はっきりしない写真ですね」
「用意してもらったポラロイドを断るのは申し訳なくて……」
「図々しい大家さんらしかぬ台詞」
「その代わり、一人1枚しか駄目というサインをもっと……」
「やっぱり……」
「はい、今日はこれまで」

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