11月23日 早朝寄席

「さて、今日は大忙し」
「はい」
「まずは上野鈴本の早朝寄席
「こちらでお馴染み、柳家ろべえ君の登場です」
「さて、この早朝寄席は5年前には、客席を埋めたのが10人から30人くらい。わしの記録では3人しかいなかったこともある」
「そうでした」
「それが今は百人以上が当たり前……しかし……」
「何でも受ける」
「そう。5年前には、出来が悪いと誰一人拍手をしないということもあった。若手を育てる会ではなくなったのかなあ」
「前の2回くらいは、ひどい芸にも拍手がわき起こったって……」
「そういうことじゃ」
「それで、今日は」
「まず柳家喬四郎の『屁負い比丘尼』、江戸の噺という前置きだったはずなのに、恋は『レモンのイメージ』という言葉で時代が分からなくなった」
「問題ですか」
「レモンが日本に入ったのは1873(明治6)年、静岡県の熱海に療治に来ていた外国人が伝えたという」
「落語のくすぐりとして外国語を入れたりするのはいけませんか」
「まあ、テレビでも江戸初期の黄門様ご一行が明治に詠まれた正岡子規の俳句を話題にしていたし……江戸の噺でも、ポイントに時代錯誤を入れるくすぐりは許せる」
「今日のは」
「噺の根本に当たる部分じゃろう。女の会話も新しい時代の言葉だし、名前も近代の女性の名前……最初の前置きを聞き違えたのかと思っていたら、最後の方で百両という金額が出てきて……」
「混乱ですか」
「無理にくすぐりを作っている感じで、落ちも陳腐。まあ、早朝寄席の意義としては実験落語ということなのじゃろう。それは許すが、拍手は出来ないな」
「はい、次は」
桂文ぶんの『猿後家』。地で話しているのがなかなかいい口調なのに、後家の描写があまりにわざとらしく感じるな。まあ若いから、これからじゃろう」
「人物を描かないのがいいんですか」
夏目漱石の『三四郎』で、小さんの演じる人物は小さんが消えるのがすごいと言っている。これは当時の主流である人情噺の系統なのじゃろうな。一方、円遊の方は円遊の演じる人物だから面白いと言う。こちらが、今の落語の姿じゃ。芝居などとの違いを考えると、後の方が本格。色々声色などを使うのは邪道で、八人芸といってさげすまれている。ただ、昔の『居酒屋』などで人気だった金馬や、今の喬太郎など、それによって人気なのだし、わしも完全否定している訳ではない。ただ、いえることは、いずれも完成された芸ではないということじゃ」
「はあ……で、今日の一席は」
「『猿回し』をうっかり言ってしまってしくじるのじゃが……これはあり得ないなあ。猿に気をつけているのに、猿回しは出ないじゃろう。上方では奈良見物の報告で『猿沢池』と言ってしまう。これがうっかりじゃ」
「なるほどね」
「続いては三遊亭時松の『馬の田楽』。これはなかなか……」
「良かったですか」
「良かったが……」
「また……何か引っかかっていますね」
「この鈴本の致命的な欠点じゃ……前の方にいてもスピーカーを通した声が響くようになっている」
「はい」
「マイクを通すと、落語は駄目じゃ」
「そうですか」
「普通に座って、人を呼ぶ。その相手がまだ寝ていて、布団にくるまって……その台詞はどうなる」
「へ……さあ」
「布団にくるまっている人が、前かがみになっているから、マイクが完璧に拾う。つまり、面で話しているよりも、半分寝ていてボソボソ話す方が大きい声なのじゃ」
「あら」
「録音が面白くないのは、これが一つの原因じゃ」
「今日の一席にもその欠点が出ましたか」
「馬子唄が見事なのに……唄は声が大きいから、高座からちゃんと聞こえる。それがスピーカーからの音と反響して……マイク無しで演じる人が出て来ないかなあ」
「いませんか」
「芸協では亡くなった文治師匠が必ずマイク無しで演っていた。まあ、鈴本は音響が悪いから無理じゃろう」
「さあ、トリはいよいよ、お馴染みの柳家ろべえ君」
「はい、今日は仕事の合間に来たので、申し訳ないが移動しなければならない」
「あら……せっかく来たのに」
「地位からいえば前半に登場するはずじゃが、演目でトリということになったのじゃろう」
「はい、残念でした」

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