3月27日 三遊亭円右師匠追悼

三遊亭円右師匠が22日に亡くなった」
「そうでしたね」
「23日に発表され、24日に報道されていたが、わしは24日に仕事を完成させて休日を取る予定だったので、徹夜で仕事をしていたため、ニュースも見なかったのじゃ」
円右師匠とのお付き合いは」
「サイン本を頂いた程度じゃ。それで、24日も仕事が終わるとあわてて上京した訳じゃ」
「5時まで仕事をすると、関東の自宅到着は夜中の0時だとか」
「そう。その1本に乗り損なうと、最終列車ということになる」
「前置きが長くなりましたね」
「まあ、それで、ご遺族と落語芸術協会の合同葬ということで、26日が通夜、翌27日が葬儀ということになっていたのじゃ。これを26日の落語会で聞いたし、ちょうど東京の親類の所に泊まることになっていたので、葬儀に参列させていただいた」

「右上の写真は式場ですか」
「落語『堀之内』でおなじみのお祖師様、妙法寺じゃ。写真で分かる通り、桜が咲き初めていた。
  円右去って花咲き初めし朝かな」
「左は挨拶ですね」
「息子さんじゃ。右端は会長の桂歌丸師匠。昨年はお祝いの席でお目に掛かったが、神経痛で足が痛いとぼやいておいでだった。今日も足を引きずっていたが、痛々しく見えたなあ」
「大家さんも足を引きずっていたとか」
「前日、横浜の取材などで20キロほど歩いたから。年を感じた」 

「右は出棺ですか」
「若手落語家と親類の方で棺を運び出すのじゃ。右端に顔が見えるの丸い顔は冨多葉君じゃな。顔は見えないがその後ろに夏丸君もいた」
夏丸君は円右師匠の作品を高座にかけていましたね」
「そうじゃ。『英会話』『都々逸親子』『ヒニクリスト』などをものにしている。4月26日の勉強会では円右作の珍品を披露するそうじゃ」
円右師匠は新作ばかり演っていたんでしょうか」
柳家金語楼がこの落語芸術協会を作って、昨年75周年じゃった。その頃は演じられている古典落語と金語楼作品が同じ数あると言われていたが、もちろん演じられなくなって行く作品も多い。
 その後の新作派といえば、柳昇師匠とこの円右師匠だったな。米丸師匠はちょっと異質なので」
「大きな存在だったんですね」
「そうじゃな。あまり目立たぬ存在だったが、影響力は大きかった」
「ご冥福をお祈りしましょう」

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