オフチニコフ・リサイタル

 さて、見物する場所もなくなって、倉敷芸文館でオフチニコフ氏のリサイタルを聞くことと致しました。門下生3人が登場する第1部。大学2年、4年、卒業生が登場します。1人目はシューマンの「幻想小曲集」、ドレスが美しい。着こなしはまだまだ。2人目はリストの「スペイン狂詩曲」、前後が女性で男はこの1人。力強さがある。リストのテクニックを駆使する楽曲だけに、テクニックもすごい。しかし、何かが不足している。3人目のラヴェル夜のガスパール」もそうだった。
 これがどうかどうだから良かった、どこをどうすればもっとよくなる……ということが書ければ評論家になっているんで……プロの文章なら、そこを書かなければならない。こちらは素人だから、まあいいでしょう……

 長い休憩(その間に調律)をはさんで、オフチニコフ氏(写真)の登場。スクリャービンの「練習曲」。作品42の8曲、作品8の12曲を通しで演奏。力強い曲の前はほとんど間をおかず、静かな曲の前ではちょっと時間をとって……という、全体を一つの作品として聞かせようという姿勢。難曲もあるのに、少しもそれを感じさせない。
 門下生の演奏はテクニックを感じさせた。それに対して、オフチニコフ氏の演奏は音楽性を感じさせた。テクニックがすごいことは分かるのだが、そのテクニックを感じさせないのだ。観客を純粋に音楽の世界にひたらせる、すごい技術ではないか。
 短い休憩をはさんで、第3部はショパンの「バラード」を4曲通しで演奏。1番の旋律でためらいながら進み始めるのが、いかにもショパン的。最後の音を長々とのばし、それに乗るようにして第2番の静かなメロディが流れ出す。嵐のような激しい部分に入ってからはもうドラマを見ているよう。メロディが戻っても落ち着かず、やがて深い悲しみの中に消えて行く。

 ちょっと間を取って第3番へ。始め終わりがぼんやりとしたメロディが続く。そして第4番では同じようなメロディが、躁鬱病のように気分が変わって行く。やはり4曲が全体で大きなドラマを作り上げている。すごい演奏家ですよ。アンコールはスクリャービンの数十秒で終わる小品。
 その後サインをいただきました。上にあるジャケットがそれです。すごいですねえ。自分の物になっている曲とはいえ、合計90分もの独奏を終えてサインまで出来る。私はフルートでベートーヴェンの「運命」全曲を独奏した経験がありますがね、終わるとぐったり、何もする気がなかったですよ……え、素人と一緒にするなって……はい、失礼しました。
 「倉敷への旅」、これをもって読み終わりと致します。

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