新庄村山ごもり

3月31日

 おなじみの一席でおつきあいを願います。
 初出勤だというので張り切って出かけまして、午前中は顔合わせだったんですよ。そしたら、社長が、このところ世をはかなんでいるので山ごもりをしようと思う、なんて言い出して、突然私も一緒に山にこもることになってしまいました。
 参りました所が新庄村という所、標高680mしかないのに、麓を出発すると携帯も圏外。これが泊まった所。実は雪に埋もれているので、立入禁止地区。4月1日から、山歩きが出来るはずなのに、これでは誰も来そうにないんです。
 釣った魚を囲炉裏で焼き、持ち込んだ肉と麓の畑から盗んできた野菜でカレーを作りました。この山小屋に閉じこめられたのは、私を含めて大人7人、子供4人、11人の運命はいかなることにあいなりますやら、明日、続きを申し上げます。

4月1日

【これまでの粗筋】
 岡山へ引っ越して初仕事と張り切っていたのに、突然新庄村の山にこもることになった。雪に埋もれ、死の恐怖と戦いながら救助を待つ、作者の運命やいかに。(4月1日なので嘘だとお思いになるかも知れませんが、嘘は全くありません……ということでもありません)

 朝目を覚ますと囲炉裏の火が消えかかっております。11人のうち生き残っているのは9人。
 さて、とりあえず朝飯を食い、子供たちをいじめておりましたが、ようやく食材を手に入れました。鰤(ぶり)、栄螺(さざえ)、烏賊(いか)、左の写真でございますが、調理人もいないので、全部自分でやるしかないんでございますよ、ええ……山の中なのに魚介類ばかり。野菜が足りないというので探しに行った2人は二度と戻りませんでした。
 昼からちょっと散策しようってんで、村へ出たんですがな、この村は「メルヘンの里」ってんですがな、何がメルヘンなのか、誰に聞いても分からない……
 日露戦争が終わって凱旋した人たちのために植えた「がいせん桜」が名物なのですがね、写真の通り、まだ蕾もふくらんでおりません。ちょうど今年で100年になるというんですがね、桜はもう半分は新たに植えたものでございます。この通りをぶらぶらっとして脇本陣(家来の侍たちを泊めた宿)を見物しました。ちなみにこの年の桜の見頃は4月半ばでございました。
 下の写真は山小屋へ帰る途中にある不動の滝でございます。
 さて山小屋に戻って夕食、もちろん午前中にさばいた魚がメインでございましたが、明日はいかがなりますやら……どうぞ、明日もお運びをお願いいたします。

4月2日

【これまでの粗筋】
 岡山へ引っ越したが、人生をはかなんで山にこもった作者……次々に襲う災難。11人のうち生き残っているのはわずかに7人。幾多の危機を乗り越えて、無事生きて帰れるのであろうか……(本文の内容は全て事実である……とは限りません)

 昨日の続きでございますが、午前中で山を下りることにいたしまして、救助を求めました。10時くらいにくるはずが、来ないんでございますよ、ええ。携帯電話は通じないので、3人の者が電話のある所まで下りて連絡をしましたが、そのまま行方不明になってしまいました。ようやく連絡がついたのですが、救助隊が遭難したらしいというのでございます。待っている間に寒さで死ぬといけないというので、灰の中を掘り起こして火を起こしております。昼になって腹は減るが食い物も残っていない。10cm×3cmの切り餅が一つだけあったのを、4人で分けて食うことで飢えをしのぎます。そこへようやく救助隊が到着、生き残っていたのは大人2人と子供2人の4人だけでございました。こうして無事生きて戻ることが出来、皆様に日記を公開出来るということになった訳でございます。

 新庄村遭難の一席、本日をもって読み終わりといたします。

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