ええ、ご贔屓様で厚く御礼申し上げます。本日はメルマガ『名作落語大全集』の作者である越智月久の一代記を……えっ、そんなもの聞きたくもないって……まあ、短い時間ですからどうかご辛抱を願います。それではご本人のインタビューを紹介しましょう。

1 落語入門

「私が司会です」
「この奥歯のところ、みていただけませんか……」
「ううん、こりゃあひどい……違う! 歯科医じゃなくって司会です」
「すみません、ちょっと誤解です。司会と誤解の洒落は声に出して読んでくれないと分からないかな」
「ええ、あなたが『名作落語大全集』のエッチさんだね」
「それはエッチじゃなくて、越智(おち)と呼んでいただきたい」
「名前の方は何と読むんだい」
「ペンネームですから、音読みするのが本当かも知れませんがね。オチゲッキュウでは月給が下がるみたいで、オチゲツキュウと『ツ』を大きい字で書いて。本当は『おち・かずひさ』って読むはずだけど、素直に読む人はいなくって……結局正解は『おちがつく』って落語に因んだ洒落なんで」
「ま、名前なんてどうでもいいや。あんたが落語好きになったのは?」
「子供の頃ですねえ。お笑いタッグマッチはほとんど記憶にありませんが絶対に見ていました。『目はぱっちりとフランス人形』の桂伸治(後10代桂文治:2004年3月没)は覚えています。それから牧伸二の大正テレビ寄席、末広亭からの中継だったと思うけれど珍芸シリーズの米丸さんがやっていた七福神、今もやっている笑点……日曜日は一日中笑い漬けでした」
「それでこんな世の役に立たない人間が出来るんだねェ。落語を好きになったのは?」
「先代の三遊亭金馬の『居酒屋』の小僧の甲高い声、分かりやすい落語で好きでした。それから柳亭痴楽の爆笑落語『痴楽綴り方狂室』も大抵は一度で覚えて翌日学校で演ってました」
「そういうバカってどこにもいるんだよね」
「それからラジオで古今亭志ん生を聞いて、びっくりしましたよ。面白くてたまらない」
「志ん生は昭和42(1967)年で高座を下りたから、あんたはまだガキだろう」
「そう、接したのは全部過去の録音でしたね。それから三遊亭圓生さんにはまりましたね。ちょうど昭和天皇の前で御前落語を演った頃で、昭和48(1973)年の3月でしたか、まあ全盛期ですね。笑いの中にちょっとほろっとするところを加える、圓生の味に引かれました。お陰でそれまでは敬遠していた怪談噺も聞くようになりました。やがて笑い話よりも人情噺が好きというくらいにハマってしまったんですよ」

2 データ整理

「エンショウって、ちょっとエッチな落語だね」
「『艶笑』落語といって……違う!」
「近所で火事があったけれど」
「『延焼』はまぬがれた……違う!」
「虫に刺された後が」
「『炎症』を起こして……違う!」
「霊帝の死後、宦官を皆殺しにして、都を追い出されると董卓の反対派になって……」
「『袁紹』というのは『三国志』の人物で……ちょっと読んでいる人がひいていますよ。私が言っているのは三遊亭圓生。『バカウマ』ってぇ流行語もありましたよ」
「注:ばかうまってのは、おいしいという意味で」
「圓生師匠が『圓生百席』を出したのです。全部違うネタ、くすぐり(ギャグ)も整理して同じものは出てこない。それで125時間もの録音をしたんです。学生時代でレコードを買う予算が足りない。落語だけが趣味ではないので。クラシック音楽、美術、パズル……お金のかかるものばかりで」
「パズルは全日本選手権にも出場したとか」
「はい、4位に入賞したこともあります。『頭の体操』に出題したこともありますよ」
「打ち合わせ通りとはいえ、無理矢理の自己紹介だね」
「レコードは全部は買えないので、本の方で全集を買いました。逆にこれが今につながっているような気がしますね。悔し紛れにその一覧リストを作り、それに志ん生さんのも加え、やがて知っているのを全部入れました。300席のリストが出来ました」
「それは題名だけだね」
「はい、就職してからワープロを勉強したので、簡単な粗筋だけでも打ち込もうと思ったのです。全文打ってもいいのですが、速記本などはいいものがいくらもありますからねえ。いかに粗筋をまとめるかに努力を注ぎました」
「無駄な人生を送っているねえ」
「就職してから、日曜日を利用して打ち続けていましたが、そのうちに色々新しい本を手に入れたので、10年目に見直しをしました。今のメルマガの体裁が整ったのはこの頃でしょうか。<粗筋>の他に<成立>、これは原作がどの書物に載っているか、演じ手がどんな工夫をしたか、そんなことを紹介しています。それから<一言>、演じる人が語った(あるいは書いた)もの、識者の意見などを探して記録しました」
「ああ、オーケストラの前でタクトを持ってる人ね」
「それは指揮者……最後に<蘊蓄>。これは私が面白がりやでして、とにかく面白いと思ったら人に教えたい、でも誰も聞いてくれない。じゃあ、落語と関連づけて色々書き残したらどうだろうって打つようになった……無理矢理こじつけて自分の好きなことに結びつけているのもそんな理由が原因ですね」
「元々人間がいい加減だから仕方がないね」

3 メルマガ発行

「リストアップしたものを10年目に見直しをしましてね、せっかく打ち込んだ『あ』の項から見直しです。せっかく『し』の辺りまで行ってたのに、もったいないですね」
「あーらもったいない、もったいない、アンニャアモリョリョン」
「すみませんが、東京の落語マニアにしか分からないギャグをやらないで下さい」
「スビバセンネ」
「これは上方のギャグですね、私もファンでした。分からない人、ごめんなさい、ごめんで駄目ならろくめんなさい……さて、この時には480席の一覧を作っていたのです。そこで東大落語会の『落語事典』を手に入れたら、1200余の演目が入っているんです。読んでみると、これは知っているけれど小噺だから入れてなかった、ああこれは落ちていた」
「落語だけに」
「余計なことは言わないで下さい……全然知らないものもあって本当に参考になりました。それで再度見直しですよ。それなら私だって小噺を入れれば2000を超えるだろうってんで、また見直して更に10年……そうしているうちにインターネットを利用するようになったらまたショックでしたね」
「股がショックだったの?」
「下品なギャグは顰蹙(ひんしゅく)をかいますよ。このページを御覧になっている人はみんな紳士淑女ですから……」
「……(呆然)」
「……ええ、まあ、とにかく、その……早い話が、ネットを使うと今まで調べたものが簡単に見つかるのよ。図書館で何時間も掛けて、館員の方に顔覚えられて、身分証明なしでも本を貸してもらえるほどに通って調べたものが、ネットなら一瞬で見つかるのよ」
「インターネットってすごいね」
「その頃、勤務先がメルマガを出すことになって、色々調査したんです。それで、ここまで書き留めた落語のデータを出せばそのままメルマガとして成立するのでは……って、出す気になったのです」
「まあ、性格どおり安直なスタートだね」
「出す準備をして半年、最初は100人でも見てくれれば上出来と思っていたのが、発行予告が出た時点で300名、新年を待って発刊しようと思っていたのが、2000年12月15日、ついに第1号発行とあいなりました」
「ハッコウ……発効、発光、薄幸……この『薄幸』がこの撰者にはふさわしい」
「読者は600人にも及び、それ以上にうれしかったのは、ネット落語界の大御所の皆さんや読者の皆さんからいただいた創刊へのお祝いメール、全部記念に残しています」
「キネン……祈年、紀年、祈念……作者の滅亡を祈念します」
「しかし、最初はワープロの変換ミスは多いし、内容も勘違いやメモの出典は分からない……間違いのご指摘のメールも山のように来て、もうやめようかと思いましたね」
「人生そのものが間違いだらけだからねえ……」
「でも激励のメールも多くて……そうした支援のお陰でホームページも出来ました。そこでは指摘のあったミスも直して完全なものが収録できます。幸せを感じています」

4 「名作落語」の今、そして未来

「読者の方々もそろそろ飽きて来たから、メルマガを出し始めてからの変化でも話してよ」
「沢山のメルトモが出来たことですね。第1回から熱心な情報を下さるのが『天愛』さんです。上方の新作落語のファンで、貴重な録音を山のように送って下さいました。メルマガ第1号を出した時には『あ』で始まる落語は44席用意していたのですが、最終号は66号、短いものは2席で1号ということもありますので、ホームページでは全74席になっています。ここに紹介されている新作はほとんど天愛さんの情報です。本当にありがとう」
「アリが十匹、ありがとう……」
「それから古典の蘊蓄がすごい『わらび餅』さん。メールをいただくたびにうなっています。メルマガを出した後、何も来ないと寂しいんですよ。本当にありがとう」
「アリとガチョウでありがちょう……」
「落語の舞台を回って写真を撮ってHPで公開していらっしゃる『吟醸』さんもお友達って言ったら失礼かな……ホームページでも先輩で、年齢も5,60歳年上の人ですから」
「その方が失礼だろ!」
「お名前で分かる通りお酒が大好きで、吟醸酒を飲む回も毎月開催されています。私も一度おじゃましました。お酒っていいですね」
「それでは皆様もいいお酒を……って、違うだろ!」
「まだまだいらっしゃるのですが、そうした方々が心の支えになっています。11月8日(2002年)の発行で通算第100号になりました」
「それで、まだやるつもりなの?」
「整理しているものが約1800になります。年に50回の発行なので36年かかる計算になります。小噺を入れると5000になりますので、あと100年は続けないと」
「この人ならそれだけ長生きするかも……」
「早くみんなに教えたい名作が山のようにあるので、早く100年経ってほしい」
「はいはい……」
「とにかくこれからもよろしくおん願い申し上げ(チョーン)たてまつります」

2002年11月11日、「週間ステージ・パワー」に掲載したものをそのまま再掲しています。

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