角兵衛の婚礼(かくべえのこんれい)

【粗筋】
 長屋の熊がこともあろうに越後屋という豆屋の娘、おししに恋煩い。毎日豆を買いに行くので、家の中が豆だらけ……しかし、豆を見ると娘の顔に見えるので、食うこともできない。それで病気になったというのだ。これを聞いた大家が話をすると、娘は自分の願いを聞いてくれるなら誰とでも結婚するという。その願いは婚礼の日に花婿にしか言えないというのだ。もちろん熊は承知し、無事話がまとまった。
  さて、婚礼の夜、おししの言うには、自分の祖先が角兵衛獅子をやっていたので、その真似をして踊るのが先祖のためだという。自分がピキピキピキーと言ったら、赤い襦袢を着て獅子をかぶり、太鼓を背負ってツクツクドンドンと踊ってほしい。これを1週間続けるというのだ。驚いた熊さんだが、もとより恋焦がれた女の言うこと、言われるままに1週間の儀式を続け、名も角兵衛と改名、その後も身を粉にして働いたので越後屋はみるみる繁盛する。
  やがて子供が生まれることになったが、おししがアレをやってほしいと言い出した。ピキピキピキー、ツクツクドンドンをやらないと、赤ん坊が出てこないような気がするというのだから仕方がない。呆気にとられる取り上げ婆さん
を前に踊りが始まり、やがて無事に玉のような男の子が生まれた。
「どうです、子がえりですか」
「いえ、胴返りです」

【成立】
 「子がえり」は逆子のこと。「胴返り」は越後獅子がする宙返り。「越後屋角兵衛」とも。右は日本橋の越後屋呉服店を再現した様子。

【一言】
 明治の「鼻の円遊」以後、春風亭柳枝(7)が前半のみを「恋わずらい」と題して所演、これが現在に残っている。(立川志の輔/編者注:桂歌丸一門では「越後屋」という題で、前半の恋煩いだけを演じる。娘が長屋の厠(かわや)を使っているので、ここに隠れて娘を見ようとすると、無精な婆さんがおまるを捨てに来る。人がいるとは知らず、半分しかない戸の向こうから中身を捨てようとするので、あわや頭からかけられそうになったことを話す。聞いた兄貴分が、
「お前のは下肥(しもごい)じゃねえか」
「恋(肥)に上下のへだてはない」
 で落ちになる

【蘊蓄】
 角兵衛獅子は人身売買の代名詞にまでなった。越後から稼ぎに来るので、越後獅子とも呼ばれる。「角兵衛」の語源については、応永年間(1394〜1428)に越後国蒲原郡の角兵衛という者が創始したという説があるが、『柳亭筆記』では、
  角兵衛といふ人獅子を舞い始め(柳多留12)
 という川柳をひいて、元禄時代の人だろうと記す。『舞正語麿』には、元和のはじめ、近江の国の乞食が編み笠の上に山鳥(雉子)の尾をさして宙返りをしたのが始めと書かれている。
 『三養雑記』では氷川神社にある獅子頭に菊の御紋があって、「御免天下一角兵衛作之」と彫られているとされている。
 『嬉遊笑覧』では、角兵衛獅子は越後蒲原郡から出るが、この蒲原獅子がなまったものとしている。

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