江戸の夢(えどのゆめ)

【粗筋】
 庄屋武兵衛の娘お照が店で働く藤七と結婚したいと言い出した。藤七は素性も分からず、浮浪者のようになって流れ着いたのを世話してやっている男。母親は猛反対だが、武兵衛は、
「酒も飲まないし、真面目でよく働く。それに何より、氏より育ちというが、礼儀正しくて、よほどの家で育ったと見える」
 この説得によって結婚を許し、夫婦は隠居、幸せな娘夫婦を見て母親も安心をする。
 そんなある日、両親が江戸見物でもしようかと相談するのを聞いた藤七は、庭に茶の木を植えて手入れを始め、葉茶屋に奉公していたことを告白する。
 いよいよ江戸に出掛けることになった両親は、藤七から、
「浅草にある奈良屋という茶屋へ行って、自分の茶を鑑定してもらいたい」
 と頼まれた。さて、年寄り夫婦にとって、江戸という町は落ち着かず、疲れ切って帰ろうと相談をしていて婿の言葉を思い出し、翌朝奈良屋に寄って帰ることにした。番頭に茶の鑑定をしてくれと頼むが、ここは老舗でそんなことは出来ないという。押し問答をしているのを聞きつけた主人・宗味は茶の葉を見ると二人を奥へ招き入れた。持ってきた茶を入れて、味をみながら藤七の話を始めたが、藤七が酒を飲まないと聞くと、
「茶の挽き方が特殊な技法で、これは自分と息子以外知らない方法です」
「えっ、それではあの藤七はあなたの……」
「いいえ……私の息子は酒が元で事件を起こし、6年前に死んでおります。酒を
飲まぬあなた方の婿殿……私の息子ではございませんが……よくぞこの茶を作っ
た、見事とお伝え下さい」
 表に出た地主夫婦、藤七の普段の様子を思い起こし、
「常日頃の言葉遣い……あれの行儀正しいのも……あの茶人の子なんだろうね……」
「うん……氏(宇治)は争えんもんだ」

【成立】
 宇野信夫作。昭和15年1月に歌舞伎座で初演された芝居が原作。菊五郎(6)が婿と宗匠の二役、吉右衛門(初代)が地主を演じた。茶の心得のない地主が宗匠の真似をして飲むという、落語の「本膳」を取り入れた吉右衛門の演技が評判になった。
 昭和42年(1967)7月、自ら落語に改定し、三遊亭円生(6)により11月16日初演。
 藤七が、義理の父を実の父にそれとなく会わせたのである。しかし、噺の中では一言もその説明はない。随所に茶を飲む場面があるが、飲む茶の種類と飲み方がそれぞれ異なっているのも演出の妙。円生がよく磨いて完成させたものだなと分かる。いい噺だと思うのだが、誰か演らないかな。

【一言】
 私はこれをきいて、今更のように円生の実力と素養と理解力に感動しました。円生は実に品よく此の劇を人情噺にまとめあげてくれました。不世出の名優とうたわれる6代目菊五郎と初代吉右衛門が腕をきそった舞台に、それは決してまさるとも劣らぬものです。
 この噺に打たれたのは、作者の私一人ではありません。昭和43年には、円生は『江戸の夢』によって、芸術選奨を受けて居ります。(宇野信夫・初演が芸術祭参加で、柳家小さん(4)が「真っ二つ」で芸術祭奨励賞、この「江戸の夢」が芸術選奨を受賞した)
この噺としては、やはり一番最後がむずかしいと思います。宗味の人物の現し方、オチを付けようか、とも思いました、氏と宇治を引っ掛けた、オチをつけようか、とも考えたが、やはりそれはやめて、おらくの姿、心でそのまま退場したほうがよいと思って演りました。(三遊亭円生(6))
 この初演の場面は次の通り。
 表へ出た両親、見送る宗味を振り返り、
「お前さん、あのかたが、藤七の……(と、言いかける)」
「(相手の言葉にかぶせて)うるさいッ。(と、強く叱るように)だまって歩け。何も言うな。(今度は弱く、涙声で)なんにも言うなよ……」
「はい(とうなずき、袖で涙を押さえて)……なんにもいわずに……帰りましょう……」
(と、立ち上がって、やや上手に向き、宗味に、おじぎをする心にて頭を下げ、下手の方へ、おらくのこころにて、静かに退場する)
 初演ではアナウンサーが「おらくの心で退場しました」と説明、大喝采が起こったという。「百席」録音のため、工夫をした落ちが本文のもの。この高座を下りる姿が落ちの代わりになっているというのは、この初演の逸話を知っている通には受けるだろうが、初見の客には何だか分からないだろう。ドラマでアナウンスが心情を説明したら、もうおしまいである。当然のことであるが、その後は「粗筋」の落ちを用い、心で退場は演じていない。TBSに残っているビデオでも本文の落ちを用いている。

【蘊蓄】
 栄西禅師(1141〜1215)が帰朝の折茶の実を持ち帰って栽培し、『喫茶養生記』を著して源実朝に贈ったという。茶は古くから薬用として用いられていたが、この後各地で栽培されるようになる。茶を売る店は「葉茶屋」という。単に「茶屋」では料理屋となり、水茶屋は今の喫茶店である。現在は葉茶屋の店先で番茶を焙じているが、昔は茶の葉を買って自分の家の焙烙(ほいろ:「もと犬」にも登場する)で焙じた。この方が香りも味もいい訳で、現在でもコーヒーを自分の家で豆を挽いて入れるのと同じことである。

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