家見舞(いえみまい)

【粗筋】
 兄貴分の新築祝いに水瓶を贈ることに決めたが金がない二人組、道具屋で品物をあさっても見つかる訳がない。ところが探してみるもので、あった、あった。取り壊した家で便器として使っていた肥瓶(こいがめ)だ。これを洗って水瓶だと言って持って行くと、兄貴は喜んで飯を食って行くように勧める。もちろんいやしい二人組のことで、喜んで応じる。おかずに出たのが豆腐。うまいうまいと食って、はっと気が付いた。豆腐を洗った水はどこの水だろう。あわてて兄貴に、
「済みません、豆腐は断っていました」
「じゃあ、香の物はどうだい」
「そりゃあいい、古漬(ふるづけ)をさっと水に通して……いや、コウコも断っ ています」
「じゃあ、海苔はどうだい」
「焼き海苔なら……水は使わねえな……あれっ、飯はどうやって炊きました」
「何を言ってやがる。水を入れて炊くに決まってらあ」
「あら……じゃあ飯も断っています」
 とうとうあやしまれて水瓶のところへ連れて行かれた。その瓶を見て、さすがの兄貴も驚いた。
「汚え瓶だな。今度来る時に鮒(ふな)ァ持ってきてくれ。鮒は澱(おり)を食うというからな」
「いいえ、それには及ばねえ。今まで鯉(肥)が入ってた」

【成立】
 上方の「雪隠壺(せんちつぼ)」を明治期に東京へ移植したもの。「雪隠壺」とは落ちも変わっているので、「雪隠壺」をお楽しみに(後10数年で行けると思います)。もともとは「こいがめ」という題名だったようだが、尾籠(びろう)だというので、「家見舞」「祝いの瓶」「新宅祝い」「祝いがめ」などの名前が、用いられている。
 こともあろうにこの「こいがめ」を放送で取り上げたのが、「山のアナ、アナ」で人気の三遊亭歌奴円歌(3代目)を襲名し、その後を継いだ歌奴(3代目:1975(昭和50年)に襲名。テレビ『お好み演芸会』で「3年2組、座って子供、立って子供」のフレーズがあった)。彼の飄々とした軽さは、この噺から汚い印象を消して楽しい雰囲気に変えてしまった。「芸の重み」というが、「軽み」の重さ(?)を感じたのは初めてだった。この歌奴はこのところ風格も出るようになり、明るさはうしなっていない。「重鎮」と呼ばれるようになるかも……と、メルマガでは紹介したが、惜しくも2004年4月6日に亡くなった。2008年4代目が出来たが、これは本物の重鎮が期待できる。
 この噺、寄席へ行くと色々な人が演じているが、「客が気に入らないのでこういう汚い噺を演じる」という場合もあるので要注意。

【一言】
 (最近の人は肥が分からない)
「アイドルになると、みんなから声をかけられて。私も、この間、コエをかけられて、臭かったです」という話にもついてこられない。まぁ、知らないのだから仕方がない。だから、噺もやりづらい。
 先日も、伊勢丹に、友達の誕生日プレゼントを買いに行って、「お遣いもんだから」と言うと「すぐお使いになるんですね」って、若い店員が。「だから、プレゼントだよ、プレゼント!!」横文字で言わなきゃ、解らない。早速、噺のマクラで使っている。
 それから、こんなこともあった。高い喫茶店に行って「お姉さん、はばかり何処だい」と聞くと、「こちらでお預かりします」って、何と間違えたのか、わからない。(桂平治)

【蘊蓄】
 現在のような水道が敷設されたのは1898年(明治31)だが、普及率は極めて低くく、昭和に入るまで水瓶は家庭の必需品であった。特に東京では井戸はほとんどなく、玉川兄弟が掘った「玉川上水」で配給した井戸が多く、中の掃除のために井戸替えという風習があった。落語「つるつる」「妾馬」などの江戸落語に登場するが、上方にはない。

【聞いた】
 
本文に出て来ない人で、柳家さん喬・入船亭扇辰・柳家喬太郎・五街道雲助・柳家小袁治・柳家権太郎なども。

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