ヴァイオリン(その他)のための変奏曲

【総説】
 
パガニーニの変奏曲は全てが同じ形式といってよい。導入部として美しい旋律を聞かせ(これも主題の変奏になっている場合が多い)、主題が登場する。変奏では左手のピチカート、ハーモニック、重音など、例によってあらゆるテクニックを駆使する。彼は小品に「ソナタ」という題名を好んで用いているが、規制のソナタ形式は取っておらず、上記のスタイルによる変奏曲形式の1楽章の作品も多く含まれている。

魔女たちの踊り
 1813年、ナポレオン家と別れた直後、ミラノでの出世作。親しみやすい旋律とあらゆる技巧を駆使した魅力に溢れる曲。ジュスマイヤー(モーツァルトの弟子で、モーツァルトの絶筆となった「レクイエム」の完成者として有名)の「ベネヴェントのくるみ」の魔女たちの登場するシーンの音楽による、パガニーニ得意の序奏つき変奏曲で、3つの変奏とコーダ(これも変奏になっている)からなる。
 オーケストラ伴奏で、親しみやすく華やかな彼の作風がよく分かる曲。生前は最 も人気のある曲だったという。

「ネル・コル・ピウ」による変奏曲
 1830年頃の作か。グールが演奏の様子を伝えるために記録した速記譜によって残された。たまに取り上げられることもあるが、テクニックに走っている証拠の曲として扱われたため、音楽的な面は全く話題にならなかった。ようやく1980年代に入ってその芸術性が認められ、取り上げる演奏家が出てきたところ。

「こんなに胸さわぎが」による変奏曲
 1819年の作。作品13として出版された、ロッシーニの主題による3曲の一つ。1815年に初演された歌劇「タンクレディ」のアリアが主題。華やかなオーケストラ伴奏つき。

「シンデレラ」の主題による序奏と変奏曲
 作品13の2曲目。1817年の歌劇「シンデレラ」からフィナーレの「もう悲しむことはない」による変奏。ワルシャワで演奏されたらしく、演奏会に来たショパンが同じ主題で、序奏を除いて形式もほとんど同じといって良い変奏曲を作っている。

「モーゼ」変奏曲「モーゼ幻想曲」「ソナタ・プレギエーラ(祈りのソナタ)」とも)
 正式には『ロッシーニの「モーゼ」によるG線上の華麗な変奏曲』という題名。
 前の2曲と一緒に出版されたが、全く違った作風である。ピアノ伴奏で、G線1本だけで演奏するように作られており、親しみ易さから現代でも多く取り上げられる小品。「祈り」というのは、前奏部分に付けられた題名。他のロッシーニ主題のものよりも前、1816年頃の作か。チェロによる演奏も多く行われている。

ヴィオラとオーケストラのためのソナタ
 1831年の作曲。本人の手でヴァイオリンとギターの二重奏に編曲されている。 「ソナタ」と題されているが、ロッシーニ「セビリアの理髪師」の最後の場面で愛の喜びを歌ったメロディによる変奏であり、前記の諸作品と形式も全く同じである。ロッシーニの主題による作曲としては作品13の3曲のみという解説が多いので、世に知られぬ作品なのかも知れない。ストラディバリウスのヴィオラを手に入れた頃の作品である。
 ショパンがこの曲を聞いたらしく、刺激を受けて、同じ主題を用いたフルートによる変奏曲を書いているが、形式まで完全にパガニーニのスタイルである。

マエストーサ・ソナタ・センティメンターレ
 
1828年、35歳で初めてイタリアを離れた時、ウィーンへの挨拶の曲としてして 作曲。ハイドンの作曲で、ハイドン自身による変奏曲が有名なオーストリア国歌を変奏したもので、6月17日王宮において国王の前で初演。大変な喝采を受けたという。G線1本だけで演奏するために作曲されたもの。

ナポレオン・ソナタ
 1807年25歳で初演。ナポレオンの誕生日を祝った曲で、G線1本で会場を興奮にたたき込んだ傑作。おそらく弦1本で演奏する最初の作品であろう。自作の主題によるお得意の序奏付き変奏曲である。

マリア・ルイーザ・ソナタ
 ナポレオンの妻となった女性の名を付した、華麗なポロネーズによる変奏曲。1810年の結婚を祝い席で発表された曲と思われる。「ナポレオン・ソナタ」と形式も同じ、G線のみで演奏することも全く同じ、旋律も関連を持たせて作ってある。日本で演奏された記録は見当たらない。

ワルシャワ・ソナタ「ソナタ・ヴァルサヴィア」とも)
 1829年5月24日が初演か。ショパンの先生として名高いエルスナーの歌劇「ヴィストゥラの娘たち」の主題による序奏付きの変奏曲。大変に効果的なオーケストラで、協奏曲に匹敵する内容。導入の主題は協奏曲第5番に転用している。ポーランドのワルシャワでの演奏会用に作った挨拶の曲である。ショパンがこの折の演奏会を聞 きに来て「パガニーニの思い出」を作曲している。レコードで出たアッカルド版は非常にオーソドックスな編曲。一方カデンツァが話題になった協奏曲第4番とカップリングされたクレーメル版では管楽器を多用した新しい編曲になっている。

ヨーゼフ・ヴァルイグルの主題による変奏つきソナタ
 歌劇「船乗りたちの恋」の「私の約束の先に」が主題。ベートーヴェンの作品11の「ピアノとクラリネット、チェロのためのソナタ(町の歌)」の終楽章の変奏と同じ主題である。1821年に初演されたものか。

変奏つきポラッカ
 1810年頃の作。「ポラッカ」はポロネーズのこと。この頃ヨーロッパで大流行したため、彼の作品でもポロネーズは主流をなしている。主題はパガニーニ自身の作かも知れない。独奏譜面のみが残されていたが、ブラトフがピアノ伴奏を付け、そのままオーケストレーションされている。これは独奏を際立たせるだけの伴奏で、全くパガニーニらしさは感じられない。従って他の曲と比べると、ずいぶんおとなしい作品だという印象を与える。

田舎の踊り
 「愉快な主題による変奏曲」と副題が付いたポロネーズ。これまでの変奏曲のスタイルと違い、簡単な前奏とフィナーレはついているが、1つの主題を数十回にわたって変奏していく、30分近くの大曲である。ほとんど同じようなテンポ、 同じような調子の繰り返しに過ぎないのに、そのテクニックによって退屈せずに聞くことができるのは作曲者のすごさを物語っているとも言えよう。晩年の作で あるがソロの全部の自筆譜面が現存している。オーケストラ譜も残っているが、一部のフレーズが抜けているため、未完成の作品で、本人による演奏はなされなかったのではないかと推理されている。1983年、指揮者のダンポーニが総譜を完成させ、アッカルドのソロで演奏された。日本ではアッカルドダンポーニの共演で、「マリア・ルイーザ」「ワルシャワ」「ポラッカ」をカップリングさせたレコードが出ただけで、他に演奏された記録はない。

「ジェノバ民謡(バルカバ・Barccaba)」によるヴァイオリンとギターあるいはピアノのための60の変奏曲 作品14
 
生前出版許可をした最後の作品で、1835年に出版された。タイトルで分かる通 り1つの主題を60回変奏する大曲。フィナーレに「常動曲(ペルペゥエラ)」がそのまま転用されている。例によってパガニーニのあらゆるテクニックを駆使するのであるが、現在では部分的にしか演奏されることはない。

愛の二重奏
 1807年の作品。一つの主題による変奏曲なのだが、「導入」、「願い」、「調和」、「内気」、「歓び」、「いさかい」、「平和」、「愛のしるし」、「別れの知らせ」、「別離」という副題が付けられ、曲の雰囲気もそれにふさわしいも のになっている。音楽によって恋人達を描写したという訳であるが、ナポレオンの妹のエリーザが嫉妬で失神したのが、この曲。本来無伴奏ヴァイオリンのたもの曲で、G線とE線の2本だけで演奏する。E線で旋律を引き、G線のピチカートで伴奏するのがいかにもパガニーニらしいが、現在は伴奏部をギターやピアノ に写して演奏する例が多くなっている。

ベニスの謝肉祭(ヴェネチアの謝肉祭)
 
作品10とされている。イタリア民謡「私のお母さん」を、パガニーニ風に変奏したもの。「ブルレスク変奏曲」という題名で演奏した記録が多いが、ベニスで行われた演奏会で、挨拶の意味から「ベニスの謝肉祭」という題名を本人がつけたらしい。この題名があまりにも有名になり、その旋律による変奏曲を作った作曲家は、全てが同じ題名を用いている(ジュナンのフルートによる変奏曲が現在では最も有名。ハワーズフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルのために作ったものは、彼らのアンコールの重要なピースとなっている)。
 パガニーニの原曲は無伴奏だが、序奏から主題提示にかけて、左手のピチカートを伴奏にメロディを弾くという、一人二役の高度なテクニックを要し、二重音、フラジオレットなどあらゆる技術が駆使されている。事実上演奏不能で、 二重奏に編曲して演奏された例がある程度。ピアノ伴奏の譜面がイタリアで売り出されているが、これも10分以内の小品に編曲した易しいものになっている。原曲は数十回にわたる変奏を並べた大曲である。
 ショパン「パガニーニの思い出」という作品でこのテーマを扱っているので、ワルシャワにおける演奏会で取り上げられたはずである。

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