ヴァイオリン協奏曲(全6曲)

【総説】
 パガニーニには8曲の協奏曲を作ったとされているが、完全な形で残されているものは出版された第1・2番の2曲のみであった。その後いくつかの部分が見つかり、管弦楽部等を復元して演奏されたこともあるが、全く省みられることがなかった。彼の死後、パガニーニの作品は取るに足らない物という謝った認識があり、遺族までがそれを信じてしまっていたためである。
 たまに演奏されても皆テクニックを見せつけるための演奏で、心を込めるなどという言葉を忘れた演奏が多かったものと思われる。パガニーニに教えを受けたジヴォリの弟子フランチェスカッティの演奏などは曲想など全く無視したひどいもので、これが現在唯一のパガニーニの正当的の演奏とされるのである。こうした演奏がますますパガニーニの音楽は駄目だという認識を深めさせることとなり、テクニシャンという印象を与えるためのデビュー演奏以外に省みられることがなくなっていたと言える。
 レコードでも第1番、第2番の2曲の協奏曲以外に発売されたことがなく、解説等でもこの2曲から後はこれらの焼直しのようなものだという説明がなされていた。しかし、1971年に第3番が発見されると、その価値が見直されるようになり、他の曲も次々にレコーディングされ、ようやく
パガニーニの真価が理解されるようになったのである。ただし、いまだに技巧を見せるだけのひどい演奏も横行している。
 こうして8曲の協奏曲のうち6曲は復元されて演奏されるようになったが、他の2曲はいまだにパガニーニの伝に記録があるだけで、曲は部分的にも発見されていない。
 彼の協奏曲は独特のスタイルを持っており、特に第1楽章は一般的な協奏曲の形式とは少し異なった処理をしているので、その形式について簡単に説明しておくことにする。

第1楽章  
 ソナタ形式で描かれる。ソナタ形式というのは、A・B・A′の形式で、それぞれ「提示部」「展開部」「再現部」と呼んでいる。協奏曲ではこれに主題をオーケストラのみで提示する「序奏部」が入るのが一般的であるが、
パガニーニは次のように処理をする。
序奏部……「オーケストラによって主題を提示する部分」といえば古典派の協奏曲と同じであるが、美しいメロディと盛り上がる部分が交錯し、
パガニーニの登場を待つ観客の期待をふくらますのに極めて効果的な処理がなされている。この部分が長いため、省略した演奏が多く見られるが、期待感を高める効果は大変大きなものがある。
 これは他の作曲家、ショパンなどの協奏曲でもいえることだが、ぜひとも完全な形で演奏すべきである。
提示部……独奏ヴァイオリンが第1主題から導入されて華麗なテクニックを見せる。ここで3オクターブを行き来する速いパッセージを入れる。短調の場合は同位長調に(主調がニ短調ならヘ長調)、長調の場合は属調(主調がニ長調ならイ長調)に転調して、第2主題の美しい旋律を聞かせ、変奏する。その後は重音を駆使した華やかなテクニックを見せて一端終止する。
展開部……全く新しい調で、新しい旋律を提示し、これを様々に展開する。その展開でも様々なテクニックを見せつける。
再現部……長調の場合は主調、短調の場合は同名長調(主調がニ短調ならニ長調)に転調、第2主題が再現される。提示部と同じように華やかに終わりを迎えると、ソロのテクニックを駆使したカデンツァ(これは普通演奏者が即興で自由に演奏する)が入って終わりになる。
 彼の協奏曲の第1楽章は全てこの形をとっており、再現部に第1主題は戻ってこないことが多い。これは「パガニーニ風ソナタ形式」とでも呼べるであろう。

第2楽章  
 歌謡で、美しい旋律を聞かせる短い中間部。

第3楽章
 
リズムに重きを置いたロンド。特に当時流行していたポロネーズを思わせる曲想が多い。ロンドは「A・B・A・C・A・B・A・フィナーレ」という形式で、Aをロンド主題と呼ぶ。B部の再現は調を変えるが、その転調はソナタ形式とほぼ同じである。
パガニーニは中間のC部でハーモニックを効果的に用いることが多い。ハーモニックとは、弦に軽く触れることにより口笛のような音を出す奏法で、ギターにある技法だったが、パガニーニがヴァイオリンに応用した。フラジオレットともいう。パガニーニはこれを二重音で用いている(つまり演奏には左手の指4本を使っているのである)。
 曲の中では、細かい動きの重音、右手で弓による演奏をしながら左手で弦をはじいてギターのような音を出す「左手のピチカート」(それもとてつもなく速いもの)、弓をはねるようにして演奏する「スタッカート・ポランテ」という素早いスタッカート、半音階の一つおきにスラーを付けた「パガニーニ運弓」(半音ずつずれた不協和音を二人で弾いているような効果が出る)など、パガニーニの発明した様々なヴァイオリンのテクニックが駆使されている。
 また、Aの主題は同じことが何度も繰り返されるため、短調の曲では長調に傾いたり、フィナーレの前では変奏したり、全く同じことの繰り返しになることを避けていることは言うまでもない。

 

ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品6

 死後最初に出版されたため作品6となっているが、事実上彼の最初の作といってよい。1811年、29歳で作曲したらしいが、記録にある最初の演奏が1819年3月29日ナポリであるため、もっと後の作ともいわれる。オーケストラが変ホ長調でソロがニ長調の、彼が発明したスコルダトゥーラという技法を使用。これによってソロだけが際立ってよく響くようになる。現在はオーケストラもニ長調で演奏 している。このため編曲が多く作られたのである・
   第1楽章 アレグロ・マエストーソ ニ長調
 ウィルヘルミやクライスラーによる編曲版がある雄大な作。超絶的な技巧と美 しい旋律を織りまぜた
パガニーニお馴染みのパターン。重音やフラジオレットのスタッカートが効果的に用いられている。
   第2楽章 アダージョ ロ短調
 俳優マリーニの演技に影響された、「囚人の祈り」を描写したものという。そうだとすれば、この劇を
パガニーニが見たのは1813年のことなので、この協奏曲はそれ以後の作というこになる。そのことから、第2番の第2楽章がその影響 の作という説もある。ラマチックなオーケストラと、ソロの叙情的な旋律の対比が美しい楽章。シューマンはこれを聞いて、「パガニーニに天使の歌を聞いた」と書き残している。
   第3楽章 アレグロ・スピリトーソ ニ長調
 スタッカート・ポランテを駆使した技巧的な曲。フラジォレットや重音など、 あらゆるテクニックを見せつけるフィナーレである。

ヴァイオリン協奏曲 第2番 ロ短調 作品7

 遺言により死後すぐに第1番と共に出版されたため作品7となっている。作曲されたのは1811年に第1番の直後という説から、1826年まで広い説がある。1826 年12月12日の手紙に「クリスマスの後に鐘のオブリガードが付く第2番を演奏する予定」とあるが、「鐘のオブリガード」が第3楽章の「ラ・カンパネラ」であろうから、これが初演かも知れないという説が生まれている。1831年に20歳のリストが聞いて2年後にピアノ独奏に編曲、後にピアニシモで演奏するように編曲し直し、1851年にはこれを中心に「パガニーニの主題による大練習曲」をまとめている。
   第1楽章 アレグロ・マエストーソ ロ短調
 極めて自由なソナタ形式で、第1主題が明確でない。例によってニ長調に転じてから出てくる第2主題が中心になるが、この主題は親友であったロッシーニ『セビリアの理髪師』の序曲によく似ている。
   第2楽章 アダージョ ニ長調
 のどかな管の響きに導入されて、美しい旋律が流れる。美しい裏に厳しい感情がひそむような歌謡楽章であるため、マリーニの悲劇を音楽にしたのはこの楽章だとも言われているのである。終わりには二重フラジオレットが聞こえる。
   第3楽章 ロンド
 「ラ・カンパネラ(鐘)」である。印象的なロンド主題の間に、独奏ヴァイオリンのフラジオレットによる鐘の模倣と、オーケストラの本物の鐘(ベル)の掛け合いが聞こえる。即興的な創意にあふれた終曲である。リストの編曲が極めて素晴らしい出来で、こちらの方が有名になり、ヴァイオリンの場合でもこの楽章だけを独立して取り上げることがある。

ヴァイオリン協奏曲 第3番 ホ長調

 1828年6月24日、45歳の時に「ホ長調の協奏曲を演奏した」と手紙に書いたているが、その協奏曲がこれであろうか。
 1920年代、第2楽章だけを独立させて、作曲者の曾孫にあたる姉妹がヴァイオリンとピアノで演奏していた。戦後になって、ヴァイオリニストのシェリングが、この譜面があるはずだと姉妹に問い合わせた。パガニーニの作品は内容がないという世評があったため、姉妹は隠し続けたのだが、ついにシェリングの熱意に 負けて譜面を探し、1971年10月10日、シェリングによって初演された。そのお陰でちょっとしたパガニーニブームが起こり、彼の作品が次々出版、演奏されるようになった。
   第1楽章 アンダンティーノ〜アレグロ・マルチアーレ ホ長調
 劇的な序奏の後、「行進曲風に」と指示されたソナタ部が続く。旋律など美し いが、印象という点では他の協奏曲に及ばないような気もする。
   第2楽章 アダージョ 嬰ヘ短調
 ソロの譜面には「滑らかに」と書かれている。中間部で感情的に盛り上がる、
パガニーニらしい歌謡である。
   第3楽章 ポラッカ ホ長調
 「ポラッカ」は当時ヨーロッパで流行していた「ポロネーズ」のこと。ロンド 形式で、最後に「地獄の底へ引き込まれるような」と形容された下降音型が印象 的に響く。これがパガニーニ運弓である。

ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ短調

 1830年2月、47歳の時に友人に完成を伝える手紙がある。初演は1830年4月26日フランクフルトのアム・マイン、1831年3月20日パリのオペラ座という2説がある。リスト「パガニーニの協奏曲を聞いて音楽について悟り、芸術家としての自分の目標をつかみ取った」と言い、「パガニーニはヴァイオリンの魔術師だ、私はピアノの魔術師になりたい」 と言ったのがこの曲だと思われる。確かにそう思わせるだけの、内面的にも最も充実した曲であり、大作曲家の作品と並べても見劣りしない傑作といえる。パガニーニに対する中傷があったために今世紀まで埋もれた作品になっていたのが惜しまれるほどの傑作。
 1936年に屑屋に売られた譜面の一部が発見され、ガルリーニが全曲を求めた末、蒐集家として有名なコントラバスの作曲家ボッテシーニの遺品から全曲を発見した。1954年11月7日、グリュミオーによって再演されたが、その後第3番発見まで再び埋もれた作品となっていた。
   第1楽章 アレグロ・マエスイトーソ ニ短調
 ロマン的な悲愴感ただよう第1主題と、叙情的で甘美な第2主題が対照的に扱 われる。例によってパガニーニ風ソナタ形式。
   第2楽章 アダージョ 嬰ヘ短調
 「葬送的に、そして感情をこめて」と指示されている。中間部にドラマチックなクライマックスがあるが、終始感動的な歌に満たされている。
   第3楽章 ロンド(ガランテ) ニ短調
 「ガランテ」は「優美に」。「ラ・カンパネラ」を思わせるロンド主題が華々しく演奏される。中間部ではトランペットのファンファーレに導かれて、独奏ヴァイオリンのフラジオレットと、管楽器が効果的なデュエットを聞かせる。

ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ短調

 パガニーニ最後の協奏曲(第6番は初期の習作)である。ソロの譜面のみが残り、そこにオーケストラの略譜と楽器や和音の書き込みがある。未完成に終わり、本人による演奏は行われなかったらしい。息子のアキレがその独奏譜をフランツォーニのところに持ち込み、ピアノ伴奏を作曲するよう依頼している。1958年にモンペリオがオーケストレーションし、翌年グッリの独奏によって初演された。 これもその後再び埋もれてしまっていた作品である。
   第1楽章 アレグロ・マエスイトーソ イ短調
 第1主題は「ワルシャワ・ソナタ」の導入部の主題を転用している。この序奏部が大変に印象的。ソロが登場してからは、例によって、二つの主題を中心に、あらゆるテクニックを見せつけるソナタの形式。
   第2楽章 アンダンテ・ウン・ポコ・ソステヌート ホ短調
 哀愁をおびたロマン的な歌謡、これも
パガニーニお馴染みの形式である。
   第3楽章 ロンド(アンダンティーノ・クワジ・アレグレット イ短調
 「ラ・カンパネラ」などと同じ、8分の6拍子の舞曲風主題によるロンド。

ヴァイオリン協奏曲 第6番 ホ短調(遺作)

 1815年の作といわれる。第1番よりも前とも考えられる初期の習作で、ヴァイオリンとギターの曲を元にした作品とも伝えられている。ソロの譜面だけが残っていたが、モンペリオによって管弦楽の部分が作られ、1973年に初演された。
   第1楽章 リゾルト ホ短調
 旋律の美しさと名人芸の織りなすロマン的な幻想曲。パガニーニ風の協奏曲用ソナタ形式。
   第2楽章 アダージョ
 いかにも
パガニーニらしい、わずか46小節の歌謡形式。
   第3楽章 ロンド(ポロネース) ホ短調
 活き活きとしたロンドで、中間部にはホルンの音を模倣するような音型が聞こえる。

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