パガニーニ関連年表(2)

1824年 ○ベートーヴェンの第9「合唱」初演。
○メンデルスゾーン、交響曲第1番を作曲。
○スメタナ誕生(3月2日)。
○ブルックナー誕生(9月4日)。
1825年(43歳) ◎息子・アキレ誕生。
○ヨハン・シュトラウス1世、楽団を結成して結婚。
○ヨハン・シュトラウス2世誕生(10月25日)。
1826年(44歳) ヴァイオリン協奏曲第2番を演奏。(第3楽章が「ラ・カンパネラ」、あるいは初演か)
○メンデルスゾーン、「真夏の夜の夢」序曲を作曲。
1827年 ○ベートーヴェン死去(3月26日)。
○シューベルト、「冬の旅」を作曲。
○ヨゼフ・シュトラウス誕生。
1828年(46歳) ◎3月29日から8月まで、ウィーンで10回の演奏会を開き、大センセーションを巻き起こす。
シューマンは10回に皆勤、音楽に生きる決意をする。
◎6月18日、オーストラリア国王の前で演奏。(
「マエストーサ・ソナタ・センティメンターレ」初演)
◎6月24日、
ホ長調の協奏曲を演奏したと手紙にあり。(第3番か)
◎8月4日、
アントニアと離婚。
「チェントーネ・ディ・ソナタ」を作曲。(透かしにこの年の年号あり。実際はもっと前か)
シューベルト、「ザ・グレート」を作曲するが、パガニーニを聞くために全財産を失い、医者が間に合わず死去(11月19日)。
◎ 
ヨハン・シュトラウス1世「パガニーニ風ワルツ」作品11を作曲。
1829年(47歳) ◎ワルシャワの演奏会で「ワルシャワ・ソナタ」を初演。この時に「ベニスの謝肉祭」を演奏か。
◎おそらく、
ショパンがこの演奏会を聞き、感動。「パガニーニの思い出」を作曲。
クララ・ウィーク(後のシューマン夫人)、10歳でパガニーニを聞き、アダージョに心を動かされたと感想を述べる。
○ロッシーニ、「ウィリアム・テル」を作曲。
○メンデルスゾーン、バッハの「マタイ受難曲」を指揮。(指揮者が解釈して楽団に演奏させるというやり方が認められる)
1830年(48歳) リストと出会う。
◎この頃ギタリストの
ルイジ・レニーニャと共演。「ギターのための大ソナタ」を作曲(作品番号の39は疑問)。(「協奏的ソナタ」もこの頃か。これも作品61に疑問)
◎手紙に
ヴァイオリン協奏曲第4番の完成を伝えるものあり。
グールによる「ネル・コル・ピウ」の速記譜が残る。
ベルリオーズ「幻想交響曲」を作曲。1833年にこれを聞いたパガニーニが曲を依頼することに。
○ショパン、ピアノ協奏曲第2番によりワルシャワでデビュー。
○リスト、ショパンやベルリオーズと出会う。
○ビューロー誕生。
1831年(49歳) 「ヴィオラと管弦楽のためのソナタ」を完成。
リストヴァイオリン協奏曲第2・4番を聞き、4番に感動、「パガニーニはヴァイオリンの魔術師だ、私はピアノの魔術師になりたい」と書く。
○アブネック、ベートーヴェンの第9「合唱」を改定。
○ショパン、「革命」を作曲。
○ヨハン・シュトラウス2世、初のワルツを作曲。
1832年(50歳) 「常動曲」作品11を作曲。
○ワーグナー、初の交響曲を作曲。
○ゲーテ死去。

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